寿司を心に携える
職場の横にある弁当屋さん、これまではご飯大盛り無料だったのが、今月からプラス50円になってしまった。特盛はプラス50円だったのがプラス100円。理由は仕入れ値の高騰だとかなんとか。納得できるようなそうでもないような。そういう日常の中にある小さな絶望の積み重ねが人を大人にするんです、って言ってた漫画が先日最終回を迎えました。いい終わりだった。それとは別作品になるのだけど、とある忍者漫画の最終回で戦争から十数年後にカップル爆誕しまくり次世代生まれまくりの展開を見て知人が「ヤンキーの同窓会みたい」って言っていたのを未だに忘れられない。
大盛の値段が上がったからとかとは全然関係なく、ちょっと最近の肥え方が凄くすごいので食べる量を減らしていこうと思う。可能な限り。全力で。できるペースで。あと筋トレ、しなくては。
緯度が高い国は夏と冬で日照時間が全然違うのにとても苦慮しそうだなとは思っていた。特に白夜がある辺りなんてのは、毎日どういうテンションで過ごしているのだろう。連日いつまで経っても夜。あるいは昼。短い期間滞在する分には少し憧れがあるけれど、そこに住むとなると相当大変だろうと思う。なんだかんだ太陽に晒されていないと永遠に閉じこもってしまいそうな気がする手合いの人間なので。
北欧の家具は、そんな環境の冬で長いこと家にいても気が滅入らないようなものになっている、といった説を聞いてなるほどと思った。確かにどれも程良く明るく、家の中の彩りを構成してくれる存在感がある。シンプルな木目の家具が目立つ日本のそれとはおそらく目指しているところが全然違うのだろう。
我が家の家具は大体が地味なものばかりで、とりわけいくつかある本棚のうち何本かは合理の極みみたいなものを使っている。オフィス用などに用いられそうな、スチール製のもの。業務用で卸している業者さんで買わせてもらったもので、けっこう大きいわりに値段は安かった。少なくとも木製のものより組み立ても簡単で棚板も薄く、それでいて頑丈でたわまない。今度引っ越すときも当然持っていく。なんせばらして持っていきやすいのが良い。無論一本の本棚に自分の本を収束させていくなら木製の方がいいのだけれど、とりあえず量を押さえておきたいのならこういうものの方に分がある。どっちも好き。
ただ、今住んでいる部屋はいずれ取り壊す関係もあり、大家さんから「もし要らないものがあったら大きい家電とかじゃない限り(一緒に処分できるから)置いたままにしといてもらっていいですよ」などと言われている。今のところ処分する棚はないので、ないはずなのでもし必要だったらお世話になろうと思う。どのみち今以上に棚を増やすことは控えた方がいいはずなので。
12月に同人誌即売会へ出店することが決まっていて、先日その原稿を無事書き終わった。その文章を読んだ他の寄稿者から「自己肯定が高い文章だった」と評された。
改めて自分で読んでみたら全くその通りで、ちょっと笑ってしまった。いつの間にか自分自身の肯定を容易く提示できるようになっていた。20代を振り返ってみても、果たして自分はそうだったろうか。多分無理だった。20代の頃に負けず劣らず、この数年間もいろんなことがあったからだろうなと思うし、それは今も続いている。
今は一種バフのようなものがかかっている状態なのかもしれない。そう長続きするものでもないと思っているし、それがなくなったとしても多分まだ人生は続いていくと思われるので、そうでなくなった自分を想像してしまいたくなる。それが上手いこと結像できない間は、もしかしたら幸福なのかもしれない。
テーマは「趣味」に関する同人誌で、「三十代」と同じく僕を入れて12人ばかりが文章を寄せた一冊になるので、またできたら送りますね。いや、送りつけますね。