生ハムチーズキャビア寿司の味
わが国には「すべてにむしゃくしゃした時は寿司をむしゃむしゃすればいい」という格言があったりなかったりするので、それなりにむしゃくしゃしていたのでお寿司に行ってむしゃむしゃしてきました。回るやつ。比較的一皿100円寄りのやつ。昨今はもう一皿100円ではお寿司食べられなくなってきました。まぁ正味それでいいと思う。
回るやつと言ったけれど、これも若干嘘で、コロナ化を経た今やレーンの上を自由に寿司が回り続けるタイプのお寿司屋さんはあまり見かけなくなりました。大手のところは大体がパネルで注文したものを運ぶためのものとしてレールが用いられている。都内ではまだ回るお寿司が見られる。吉祥寺とかにある、なんかちっさいところ。20席あるかどうかのところで当然レーンも小さくあっという間に一周して、真ん中でお寿司握ってる人は完全に閉じ込められている。そういうところは大体良い感じに美味しい。
閑話休題。回っていない回るお寿司を食べに行きました。大体そういうところって奇抜な創作?寿司が期間限定で登場したりするのだけど、「生ハムチーズランプフィッシュキャビア」というものがありました。一皿2貫で110円。税抜きにしたら一皿100円。そんな値段でキャビアを食べられる、これがジャパンです。嘘だ絶対キャビアじゃない。
と思ったけれど、そもそもキャビアって食べたことない気がする。黒トリュフとかと同じで、なんかしらのスナック菓子の味付けとして見たこと食べたことはあるかもしれないけれど、結局ホンモノを知らないままに食べているからイミテーションだろうがなんだろうがそれがそのものの味になる、というかそうとしかなり得ない。なんか島耕作が昔むしゃむしゃ食ってるのを見た覚えがある。あれはサラリーマン男性の欲望の化身のようなキャラクターなので、世のサラリーマン男性がやってみたいことを全部やってくれる。偏見です。まぁ赴任先の国で銃撃に遭ったりもしてるけれど。何回か。
ホンモノを享受することの重要性ってものをたまに考える。世にあふれる情報は膨大で、その中で果たして何を得ることがいいのかわからなくなることは今や誰にでも訪れ得る経験で、なるべくいいもの、ホンモノを選びたいと思っちゃうのは自然だと思う。その中で「自らの手」で選んだと思っているものが、実のところ文化資本であったりマーケティングの成果であったり、いずれにせよ何かしらの力学が働いた結果選んでいるものであった、ということも往々にしてある。今読んでる本(難しくて全然読み進められない)がなんかそんなこと書いてあるっぽい。
なお生ハムチーズキャビア寿司は、生ハムの風味と塩っけにチーズがよく合いました。キャビアは多分実家に帰ってたと思う。いたけどいなかった。
僕は食い物で自分の機嫌を取ることが多い傾向にあるのだけど、当然それは財布も胃袋も圧迫し、結果満たされない心とふくよかな体を獲得してしまうので、それはちょっとどうにかした方が良いと思う今日この頃。
でも考えようによっては「うまいもの食えるうちに食っといた方が良い」というのもある。いずれ何も食えなくなる日がやってくるので。我々は誰だって。
目下食べたいものは、パフェ。グラスの下の方が丸底フラスコのようにふっくらとした、クラシックな存在感で満ち満ちたパフェ。先日行った群馬の前橋でまさにそんなパフェを出しているお店があって、今更ながら昼飯なんてそっちのけでそれを頼めばよかったと心底悔やんでいる。なんでナポリタンなんて頼んだんでしょうね私は。全くなっていない。
「遊びに行ける友達」と「旅行に行ける友達」の間に、ひとつ明確な一線が設けられていることに最近気づいた。近そうに見えて割合ぱっきりとしているその間。そこの混線は、自分にとって想像以上に堪えるようで。