学びや知識の活かし方
「知識や学びが何かに活きるとわかれば、その事柄を学ぶモチベーションがアップするのではないか?」
そんなことをふと思った。もちろん、それは現代のことだけでなく過去のことから何かに活かせる、ということも含まれる。
例えば江戸時代の教育で現代に活かせる事柄、また、江戸時代だけでなく平安時代やその他の時代の学問、教育でもよい。また絵やデザイン、音楽、文学でもよいので、何か現代に活かせることはないか?
そのような「現代の私達の生活に活かせる事柄」が見つかった時に、「学ぼう!」という動機が生まれるのではないだろうか?
話は変わるが、例えば陽明学に「仁」と「礼」というものがある。仁というのは相手を敬う気持ち、礼というのはそれを実際の行動に表したもの。そして相手を思っているだけではダメで、実際に態度や行動に表さなければ、相手には伝わらないし、よろしくないというものがある。いわゆる「知行合一」だ。そのように知識や学問も学ぶだけではなく、実際にそれらを活かすことが大事である。そのように歴史や各時代から何か現代へ活かせることを学び、実際に活かすことができればと思う。
橋本努著『学問の技法』(ちくま新書)の中で、職人のテコについて書かれていた。12歳の農村の子供はテコの原理について学んではいないが、普段からよくテコを用いていて、その使い方を知らないものはいない。原理を知識としては知らないが、日々の生活でテコを頻繁に使っている。他方テコの原理や知識だけを知っていて実際に使わないことは果たしてどちらがよいか、ということが書かれている。
テコの原理を知っていれば、それを応用するということはできるが、自分の意見としては、テコについて普段から実際に使う、ということがまず大事ではないかと思う。先にあげた「仁と礼」の例からもわかるように実際に知識を使う、実践して初めてその知識を学ぶ意義があるのだ。
そして実践で活かせるからこそ、学ぼうという気持ちが生まれるのである。
よくいわれる「教養」というのは、すぐには役に立たないけれども、いつか役に立つ、そしてそのために普段から学んでおく、ということがある。それも確かに一理ある。しかしもう一つの方法として、普段から自分が行なっていることに活かせるものから学んでいく、という学びの仕方もあるのではないか?こちらは学んだことが普段の生活に直結しているので、自然とモチベーションも高まるだろう。
また、古典というのはそもそも、現代にも当てはまる、また現代の人々のために活きるから残っているわけだ。古典に限らず、何か歴史などから現代に活かせることがきっとあるはずである。
古典の一つである「論語」の中で、孔子がおっしゃっていたことの中に、
「子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。」
という言葉がある。
これは、
学ぶだけで、自分で考えなければ、力はつかない。また、自分で考えるだけで他者から学ばなければ考えが偏り、危険です。
という意味である。これは、
知るだけでなく実際の行動に移すことが大事だし、学ばずにただ闇雲に行動するだけでもいけない、ということである。
学ぶだけではなく、「行動」する、すなわち学んだことを実際に活かすこと、そして実際の行動に活かすためにも学ぶ、ということが大事なのでしょう。
話はまた変わるが、例えばダイエットをしようと思った時に、運動なり食事制限なりを行う。またどんな方法などを行なったら効率よく痩せられるかを学ぶ。この時に、「ダイエットしよう。」と思わなければ、そもそもよいダイエット方法を学ぶということはあまりない。すなわちまずダイエットをするという行動があってはじめてダイエットについて学ぶのである。
話は戻るが、知識や学びというのは、それが活きる、活かせるから学ぶのです。その活かせることが見つかったなら勉強するモチベーションもアップするのではないでしょうか。
昨今では学校を卒業した後も、学び続けることが大事だし必要だといわれるが、何かやってみたいことなどなんでもよいから、学びを活かせることをまず見つけてみるというのも一考の価値があるのではないか?
以上