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近況アップデート3 〜2024年6月に思っていたこと〜

思えば去年のハロウィーン。これではだめだと一念発起し、読書、そしてデッサンなどを始めたわけだ。そして2024となり、1、2、3月そして続けて4、5、6月といろいろと学ぶなりなんなりしてきた。

彼女はいないし、仕事も非正規雇用だしとそんなことを言っても始まらないわけだが、それは置いておいて、自分には今、圧倒的に「学」が足りない。。と思います。。吉田松蔭は野山獄に繋がれていた約1年と2ヶ月つまり14ヶ月の中で実に600冊という本を読破したということは以前にも書いたが、わたし自身、今年に入って読んだ本の冊数は24、5冊。。。全く足元にも及ばないわけだが、食らいついていかねばな、と思う。

また、以前にも書いたが、本を読むだけで自分でものを考えないこともよくないので、その点は反省してあれこれ考えているつもりです。

他方、話は少し逸れるが、現在は教育機関で働いているのだが、自分には教育、学習とは重要で大切だとは思っていても、自分自身の学習など、なかなかそれを実際に自分が行うのは大変で、あまり合ってないのかなと思いつつ、転職を考えて去年のハロウィーンから学び始めたということもある。そしていざ学んでいるうちに、学習や学問というのが少し好きになってきたなと。。。その点は少し変化してきた部分があるのではないかと思う。

話はまただいぶ変わるが、

何かを行う時には、その

⚫︎始め
⚫︎過程
⚫︎結果

という流れを辿るわけだが、学問、学習というのは「過程」であるのではないだろうか。そして一番重要なのは、結果ではなく(もちろん結果も大事ではあるが、、)「始め」なのではないかと思う。「始め」る時に、どんなことを目標にするのか、何をしたいのか、つまるところ「志(こころざし)」というものが重要なのではないかと、常々思っております。(吉田松陰の影響でございます。)

人それぞれやりたいことや目標、成し遂げたいといったら大袈裟かもしれないが、そんな理想やこうなったらいいな、なんてことはあると思う。もちろん無謀な計画やどう考えても達成できないだろう目標というのを立てるのは、あまりよろしくはないが、何か自分の願望というか欲というか、そういうものをまず始めに立ててみることが重要なのではないか?

結果というのは、後からついてくるもので、やればできると言われ続けてやらない自分ははたして、この最初の「志(こころざし)」の部分を軽視していたのではないかと、ふと思うところがあった。

例えばいい大学に行って、いい会社に入って、給料をたくさんもらって、、、というのは、結果であって、「始め」でも「過程」でもない。
自分はいい大学に入りたいと思ってもモチベーションはあまり上がらないし、いい会社に入ろう、給料をたくさんもらおう、と思ってもモチベーションは上がらない。。だろうと思う。。(もちろんお金は欲しいが。。。)

モチベーションが上がるのは、「始め」の部分で立てた、自分にとってやりたいと思えることをやる、もしくはそれをやるため、達成するためにしていることだ。
「始め」で立てた目標に近づくためにする行動が学習・勉強でこれは「過程」にあたる。

つまり「始め」の部分をいかに立てるかということが重要=一番労力を使うべきことだ。


と、そんなことを考えてはいるが、まずは自分が実践しないことにはしょうがないので、これは日々心がけようと思います。

ところで、幕末に長州藩で奇兵隊を組織した高杉晋作は、辞世の一句(死ぬ間際に読む詩(うた)という意味らしい。)で、

おもしろき
こともなき世を
おもしろく

という句を残している。
(伊藤賀一監修『折れない志 吉田松陰50の言葉』(リベラル文庫)より)

これは文字通り、おもしろいことも特にないこの世の中を、おもしろくする、という意味だ。

昔も、今の世でも、この世というのは荒涼としていて、凍てついた大地があるだけであろう。
もちろん大自然というものは、厳しいだけでなく美しくもあるわけだが、おもしろいことが特にあるわけでもない。

しかし多くの人がこれまで、そして今もこの世界を「おもしろく」してくれている。
もちろん吉田松陰しかり、高杉晋作しかり、おもしろく、そして多くを残してくれた。

だから私もこの世界を少しでも「おもしろく」していけたらと思います。

以上です。

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