2024ハロウィーン〜この一年の総括〜
季節はハロウィーン。気候は少しずつ秋らしくなり(いやもう冬に入っちゃうよ!)、ようやく過ごしやすくなってきました。秋になって、それぞれの秋を楽しんでいることと思います。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋…かぼちゃに、栗、サツマイモ、、ありがとうございます!
そんなこんなで自分のことを申しますと、去年のハロウィーン(2023ハロウィーン)にこれではだめだと一念発起。読書なりデッサンなりを始めたわけですが、今年に入ってあくせくと、取り組んでいたわけであります。そして約一年が経過してどうなのでしょうか。何かこの一年、カツ丼をかき込むように知識をガツガツと喰らい、コーラをがぶ飲みするが如く知識を胃に、いや脳に流し込んできた感があります。。(先人たちが積み上げてきた知識に対して失礼つかまつりました。。すみません…)
そんなこんなでガリガリベンベンやってきたわけですが、色々と本を読んでみて、知識というのを得たということはありますけれども、以前の投稿でも書きましたように、自分が今までやってきた読書ないし勉強というのは、「究極の自利」であると感じました。もちろん読書や勉強というのは、何か人によってする理由というのはそれぞれで、千差万別なわけですが、自分の学びというのは自分としてはもちろん大いに役に立っているし、本を書いている人には感謝しておりますが、それを誰かのために役立てようだとか、考えないわけではなかったのですが、直接的にはただがむしゃらに本を読んでいたという感じです。
知識なり教養なりというのはもちろんすぐには役立つものではないし、何か資格を取るためにやっていたわけではないのですが、もっと学んだ知識なりを誰か他人のために役立てようという考えが足りなかったように思います。ということで現在そのようなことを模索中であります。
先程、自分がやってきた勉強なり学問というのは究極の自利であると言いました。では、これが誰か他人の利益(利他)となるにはどうしたらよいかと思った時に、これは今まで自分が学んできたことを仕事に還元すればよいのではないかと思いました。
仕事というのは、もちろん自分の生活の糧を得るため、ということはあるのですが、お金を得るということは誰かのために何か利益となることをやっていると言えるのではないでしょうか。そのような仕事に自分の学んできた知識なりを活かすことができれば、利他的な方向に向くのではないかと思った次第です。
ところで、以前、岡田斗司夫さんがおっしゃっていたことを引用したいと思います。
「オタキング」という言葉がある。この言葉は何かというと、通常は何かアニメなりゲームなりオタク的な知識は、知っていても社会生活にとって何の役にも立たない。しかし、それが誰かの役に立つくらいになるまで博学になると「オタキング」と呼ばれる。
つまりは、どんなものでも誰かの役に立つくらいまでになると、それはすなわち仕事ないし利他になるといえるのではないでしょうか?
これは以前にも書いた吉田松蔭の教えにも通じますね。
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何か自分のこれがやりたい、というようなものまず見つけ、それをブラッシュアップして、公共のために、誰かのためになるくらいまで磨く。それがその人の真骨頭(真骨頂)でそれを発揮するために、日々学び、研鑽をする。これが吉田松陰の考えることだった。(岩橋文吉著『人はなぜ勉強するのか 千秋の人吉田松蔭』より)
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そんなこんなで、何か学んだことを、できれば活かしていきたいなというような心境であります。
以上です。