「江戸わずらいの謎:脚気と戦った日本の歴史」
今回のテーマは、日本の主食であるお米についての記事となります。
では、どうぞごゆっくり😊✨
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白米と玄米の歴史は、日本の食文化と健康に深く関わっています。特に、脚気という病気との関係は興味深いものです。
### 白米と玄米の歴史
**白米**が一般的に食べられるようになったのは奈良時代からで、当初は貴族や特権階級の食べ物でした。庶民が白米を食べるようになったのは江戸時代からで、精米技術の進歩と米の生産量の増加が背景にあります。
### 脚気との関係
江戸時代に白米が広まると、脚気という病気が増加しました。脚気はビタミンB1の欠乏が原因で、白米にはこのビタミンがほとんど含まれていないためです。当時、江戸で脚気が流行し、「江戸患い」とも呼ばれました。
### 海軍と陸軍の対応
明治時代には、脚気が国家的な問題となりました。海軍では、食事に麦飯を取り入れることで脚気を劇的に減少させましたが、陸軍では白米を主食とし続けたため、多くの兵士が脚気に苦しみました。この違いは、海軍がイギリスの医学を取り入れたのに対し、陸軍はドイツの医学を採用していたことが影響しています。
【脚気における対策】
江戸時代には、脚気が「江戸わずらい」として知られ、特に江戸に住む武士や町人の間で広まりました。当時の対策としては、以下のような方法が試みられました。
### 食事の改善
漢方医たちは、白米の代わりに**麦飯**や**蕎麦**、**小豆**を食べることを推奨しました。これらの食品にはビタミンB1が含まれており、脚気の予防に効果があるとされました。
### 地元への帰郷
脚気にかかった武士が地元の藩に戻ると症状が改善することが多かったため、「江戸わずらい」と呼ばれました。これは、地元での食事が白米中心ではなかったためと考えられています。
### 医学的な理解の不足
当時はビタミンの概念がなかったため、脚気の原因は不明でした。したがって、対策も試行錯誤の段階にありました。
### 現代の視点
現代では、ビタミンB1の重要性が広く認識されており、脚気はほとんど見られなくなりました。しかし、当時の対策は現代の栄養学の基礎を築く一助となりました。
P.S.
いかがでしたでしょうか。
昔は皮肉にも高級品とされた白米を食べることによって脚気が増えたという。
食事だけに限らず、何事もバランスは大事ですね!
参考になれば幸いです✨