ダイバーシティ・インクルージョンの意味を考える
最近、耳にすることも多くなったDEI (ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)。重要性が認識されつつも、やはりマイノリティが優位な社会はなかなか変わらないと痛感する。何のためにあるんだろうか?と思うことも少なくない。
日本のアカデミア社会における、女性というマイノリティの立場。
海外におけるアジア人、日本人というマイノリティの立場。
そして、もう一つ。ニューロダイバーシティに関してのマイノリティの立場。
もちろん、マジョリティとしての立場も経験している。
マジョリティとして過ごす時は、マイノリティの立場の人がどのような心境なのか特に気づかないことも多い。言い換えると、マジョリティにいる時は、その立場にいるとうことすら意識しないのかもしれない。
逆に、マイノリティな立場になれば、すぐに気がつくようになった。
様々な背景を持った属性が集まるなら、マジョリティとマイノリティが混在する。
この時、それぞれの属性を尊重し合うことがきっと大事なんだと思う。
問題は、人はマジョリティの属性にいると気づきにくいこと。気づいてもらえないこと。
相互理解するためには、常に自分の考えていることが"当たり前ではないかもしれない"と意識するのが大事なのだろう。
DEIは、本当の意味でそれを気づくところからスタートな気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?