予期せぬトラブルのとき、物事をどう考えるか
高島屋のクリスマスケーキが崩れて届いてしまったニュースが、日本のTwitterやYahooには散見されます。
“崩れた”クリスマスケーキ 菓子会社「高島屋が全責任を…」 “監修”のシェフは…
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fe6c4e2a8a9e41a29da96c4943a9e6b1edfb2f3
このニュースを見て、何を感じたかは人ぞれぞれで、もしくは何も感じずにスルーした人も多いのかなとも。個人的には、”めちゃラッキーじゃん” と感じましたね、サイコパスなのかもしれません。そのように思うのは、”味は変わらないし、返金もしてもらえるなら実質タダ” だし、”話のネタにもなる”と直観的に思ったからです。
恐らくこういうと、”子供が楽しみにしていたのに”なんて反論もあるのでしょうが、それは多分大人からの目線なのでしょう。子供が泣いてたら、それは良くないですが、楽しんでたらなんでもいい気がします。
ちなみに、以前にあった、振袖レンタルが成人式の日に届かない”はれのひ事件”とかは論外です。(成人式は一生に一度しかありません。)
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/finasee/business/finasee-11572
序章が長くなってしまいましたが、この下のニュースを見て、本当に素晴らしいなと強く感じました。ぐっちゃぐちゃに届いたケーキでむしろ楽しんでいる様子がTwitter(X)にあげられて拡散している様子ですね。
思うに、このぐっちゃぐちゃになったケーキは、
どこの高級ケーキよりも美味しく思い出に残ったに違いありません。
個人的な感想ですが、言いたいことは
このnoteは、自分の医学留学の備忘録も兼ねているので、少しなぞらえて話をしたいと思います。きれいなトイレがどこにでもあって、お出汁が効いたアツアツなおでんを格安で食べられる便利な極東の某国とは異なり、移住して3か月のアメリカでは、まぁ毎週トラブルがあるわけです。
例:
・大きなオフィスデスクを1個注文したら、2個届いた(大きすぎて返せない)
・入居したらエアコン壊れている。ドアも壊れている。休みを取って、修理頼んだけど、修理工が全く来ない。
・勤務ログインシステムのUsernameはお前のFull nameだとか言われたのに、裏では Ahashi Yukiになっていて、ずっとログインできない。
アメリカあるあるですが、日本よりやる気なさ過ぎて、このような例は枚挙にいとまがないです。この国にいると、こんな話関係なく慣れてしまうのは正直ありますが、このような”取り返しのつくレベルの小さなトラブル”は楽しんでいます。
うまく言語化できませんが、小さなトラブルや大きなトラブルが起こったときに、トラブルを”むしろ”楽しむことができるかどうかは、運命の分かれ道かもしれないですね。
の両者がいたら、どちらに短期的・長期的に人が集まるかは言うまでもないでしょう。そんで重要なチャンスや仕事が舞い込んでくるのも同じ方でしょうか。
あと、留学は本当に人の助けがないと、渡米すらできない・生活できない ことを実感するので、なお一層、こうしたメンタリティが身につくような気がします。(他には長期間1人旅したりすると、トラブル耐性は強くなりますよね)
厳密には別ですが、Planned happenstance Theory (計画的偶発性理論)とも関連する話なのではないでしょうか。予期せぬこと・トラブルが起こったときにどう振舞えるか、もはやそのトラブルすらも計画的に設計できるかは、キャリアだけではなく人生論的に大事なんじゃないかって思います。
このケーキのエピソード、
個人的には2023年を締めくくる深くて良い話でした。