ヨーコの食べたクロワッサン
「このクロワッサンうめえ」
ヨーコは新宿NEWoManの1階にひっそりと入っているパン屋のクロワッサンを貪り食べていた。
そのクロワッサンは税込み259円もする。非正規として働き、老後への不安から家計を切り詰めて生活するヨーコにとって259円は大金だった。
普段なら絶対に手を出すような品じゃない。けれど今日のヨーコはそれを迷いなくトレーにのせるとレジに向かった。
店内か持ち帰りか聞いてくる定員に、食い気味で「持ち帰りです!!!!」と伝え2%の節税をすることを勿論ヨーコは怠ったりしない。
そして駅へ戻る道中、歩きながら袋をあけクロワッサンにかじりついたのだ。
今この瞬間、ヨーコはクロワッサンに集中している。
やたら高そうな雑貨店から流れてくる軽快なJ-pop もヨーコには聞こえていない。
ヨーコはクロワッサンに集中している。
たとえヨーコが浮気をし散らかしていたのがバレて破局した元彼とすれ違ったとしても今のヨーコは気がつかないだろう。
ヨーコはクロワッサンに集中している。
真剣な面持ちでクロワッサンを食すヨーコを見て、まさか今ヨーコのボルテージが最高潮に達しているなどと察する者などいるはずがない。
そしてヨーコは涙した。
今まで抑えていた感情のダムが、一つのクロワッサンによって崩壊したのだ。
ヨーコの涙はとめどなく流れる。
道行く人々が訝しげな目線を向けながら立ち去っていくのもお構いなしに、ヨーコの涙は流れた。
ヨーコは知らなかった。
世界にはこんなにも美味しいクロワッサンがあることを。
さくっと軽くて、まるでどこか遠くへ飛んでいってしまいそうな外側の生地と対照的に、
内側の生地はとても柔らかくて、噛むのを躊躇してしまいそうになるほどだった。どちらかというと、守ってあげたくなる生地だ。
か弱いクロワッサンがヨーコの口を通して身体全体に染みていく。
犯してきた数々の誤ちも、小さなクロワッサンが受け止めてくれている。
ひとしきり泣いて、ヨーコはすっきりした面持ちで歩き出した。
もう自分が守られる側の人間ではないと自覚して。