<編集後記> 平安神宮の例祭「時代祭」(ル・プチメック コラム)
ル・プチメックさんのコラムが終了してリンクが切れたので加筆してます。
…今月も無事投稿できたコラム掲載。言い訳のような感じで編集後記を綴ってみる。
よくよく振り返ると一年を通していろいろな「祭」に参加する機会があって、僕のプライベートは、やっぱり祭に片寄ったの生活となっているかも知れない。(右肩にちいさな神輿コブの痕跡はあります。→ググると閲覧注意です♪)
そもそも、時代祭って
僕の中で「時代祭」と言えば、クライアントが集まる地区での開催も影響して、思わぬの「交通規制で打ち合わせに遅刻する」など想定外のイベントとしての認識の方が強い。
今回、参列してみて、中からギャラリーの様子をみていても、横断歩道で警官に文句を行っている人など目に入ってくる。その人の気持ちは、むしろよくわかるし、日頃から京都市の行事に興味がないと、たとえラジオやスマホの地域ニュースで伝えられても、実感はないのだろう。
補足:今年(2018年)は、明治150年の節目であって、さまざまなイベントが続いている。時代祭としては平安神宮創建は1895年なので特に直接紐付かないようだけど、、
全国から馬や厩務員(きゅうむいん:馬の世話をする人)の方が臨時招集されていることもあってか、不慣れな土地でストレスもあるだろうし、「馬」が行列から逃亡したというニュースも過去に耳にしたこともあったけど、他人事のように流れていく程度で、今年も残念ながら事故もあって、ちょうど楠公上洛列が平安神宮に戻ると、前の列(室町幕府執政列ぐらいか)だろうか事故直後の状態で救急や警官が対応されている様子だった。(後にニュースを確認すると怪我もされている)
他の京都三大祭にしても、厳かではんなり(→最近言わない?)と優雅でお上品な雰囲気もあってか、開催される地区に住んでいるならまだしも、日常の中では「気がつくと開催していた」っなんこともある。(おそらく京都市民の大半がそういう感じじゃなかろうか...)
例えば、消防団が主催する「防災パレード」で消防団は警備にもあたるけど、宅配便のおっちゃんと揉めることもある。事前の通達が甘いのだろうかと思うけどね...。
社会のシステムとして(大げさな話じゃなくて)
はじめて参加した時代祭だけど、時代行列ではさまざまな時代の装束をみにまとうコスプレの要素もあって、言い換えると「大人の文化祭」のようでもある。北野天満宮の「ずいき祭」も同じような雰囲気もある。
運動会は「区民体育祭」ってのがあるので、京都市民は大人になってもそんな風に老若男女交えてコトをなすような機会があるのは社会のシステムとして重要な機能なんだと思っている。
例え、わずか時間や労力であったとしても、そんなシステムに関わることで、日常生活における社会性みたいなものは潤滑されていくだろうし、「文化」と呼ばれるような分野に関わることでもアイデンティティの補完にも繋がっているんじゃないだろうか。今日の社会は、20年、50年、100年前の結果から紐付いているんだろうし、「文化」の継続は、人として「種」の継続と直結している気がする。
僕自身の話であれば、御神輿を始めたのは37歳(2009年)であって、結婚してから5年ほど経っていたり、仕事にも変化があったり、それまでの10代、20代の生活と比べても、社会、特に地元への関心が高くなっていったのは、そういう年齢にもなって、そんな役割も回ってくるものだとも思っている。(とある組織で「常任理事」とかいう肩書も委嘱されたし♪)
ル・プチメックとは、1998年に創業された京都でも指折りのパン屋さんなんだけれど、京都に限らず全国にそのファンを持つとてもユニークなパン屋さんだと思ってる。店舗は東京にもあるし、レフェクトワールという名前でレストラン業態も運営されている。