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中学校の教科書から見る性の多様性
はじめに
令和7年度版の中学校の保健体育の教科書を読む機会に恵まれた。発行してる出版社は4社あり、内容や見せ方などにそれぞれ様々な工夫がこらされていた。
興味の趣くまま各教科書の性の多様性に関する記述を読み比べていると、記述内容や分量が思いの外バラバラであった。バラバラ具合がなかなかに面白いものだったので、若干の考察も交えながら各社の教科書の内容を紹介していこうと思う。
LGBTQ情報サイトである「PRIDE JAPAN」に、「中学教科書で「性の多様性」についての記述が大幅に増えることが明らかに」という記事がある。詳細は元記事を見て頂きたいのだが、その記事によると「性の多様性」あるいはそれに類する内容は、文部科学省の指導要領に記載されていないとの事だ。事実であるならばなかなかに考えさせられる事態だ。全ての指導要領を確認するのはさすがに骨が折れるので行っていないが、少なくとも中学保健体育には性の多様性に関する記述は無かった。
ただし、「教えなければいけない」とは言われていないが「教えてはいけない」と言われているわけでもない。そのため、教科書出版を行う各社が自社の裁量で性の多様性について記述し、あるいはしないという判断を行っているのが現状である。
また、本稿で扱っている教科書は、令和7年度版の出版社提供サンプル品であり、現行の教科書や実際に令和7年度で使用する教科書とは内容が異なる可能性がある事に留意頂きたい。
Gakken 『新・中学保健体育』
章末に資料扱いで記載があり、分量としては1/2ページ程度である。以下に用語説明を除き引用する。
性意識は多様で、個人差があります。多様な考え方や感じ方があることを理解し、お互たが いを尊重した関係を築い ていきましょう。
「女性」、「男性」などの体の性と、「自分は女性である」、「自分は男性 である」などの心の性が同じでない人がいます。また、自分と異なる性 の人に関心が強い人もいれば、同じ性の人に関心が強い人もいます。このように、性についての心は多様です。
・体の性 (身体的性別): 体のつくりや身体的・生物学的な特徴などを指す。
・心の性 (性自認) 自分の性をどのように捉えているかを指す。
・関心を持つ性 (性的指向) 関心を持つのがどの性か、または持たないかを表す。
(中略、LGBT(Q+)とSOGIの用語説明)
その人の性的指向や性自認に関して、差別的な言動や、精神的・肉体的に嫌がらせやいじめなどをすることをSOGIハラ(SOGIハラスメント)といいます。
淡々とした、良くも悪くも教科書的な記述である。注目すべきは、社会的な性(性表現)については触れず、従ってSOGIEではなくSOGIの解説を行っている点である。SOGIEのほうが包括的な概念でありそれなりに認知も進んできてはいるが、やはりSOGIのほうが一般的な概念ではある点を優先したのだろう。
追加で何か情報が無いか同社のwebページも確認してみたが、"性の多様性について、イメージに捉われずに理解できるように資料を構成しています"(「学研R7新・中学保健体育_内容解説資料」より引用)と記載されているのみだった。また、付属のデジタルコンテンツにも、特筆すべきものは見当たらなかった。
東京書籍 『新編 新しい保健体育』
発展的内容として、章末資料という形式で1ページを使って解説してる。但し、イラストが多く文字情報はGakkenより少し多い程度である。以下概要を抜粋しながら引用する。
性には「男性」「女性」という「体の性」以外にも、「心の性」や「好きになる性」など、いろいろな「ものさし」があります。それらは一人一人、少しずつ違っており、それぞれが組み合わさって、私たちの「自分らしさ」となっています。
(中略、性の多様性の例示)
このように、性についての私たちの心は、とても多様です。(中略、性以外の多様性の例示)性にも多様性があり、お互いにその人らしさを認め合うことが大切です。
なお、LGBT(Q+)という言葉は使われていないが、ソジー(SOGIE)について同頁下部で簡単に説明している。SOGIEのみを記載する理由については、同社webページにあるデジタルパンフレットに詳しい。
「新編 新しい保健体育」では、 SOGIEの考え方に基づいて 性の構成要素を示し、 性の多様性を表現しています。 SOGIE (ソジー)とは、 好きになる性:性的指向(Sexual Orientation) 心の性:性自認(Gender Identity) 社会的な性:性表現(Gender Expression) を組み合わせた用語です。 LGBTは性的マイノリティーを指すのに対し、 SOGIEは全ての人に当てはまる概念です。 だから多数派、少数派と区別することなく、 誰もが自分ごととして考えることができます。 生徒一人一人が考えを深められる 紙面作りのための、東京書籍のこだわりです。
多数派少数派という区別は、多様性を「考えてもらう側」と「考えてあげる側」を生みかねない。その危惧を排するために敢えてLGBT(Q+)といった表現を一切用いない、というのは非常に挑戦的な編集方針だ。
教科書では、多様性を知り尊重する事が求められるとしているが、具体性のある記述は見られない。そのあたりは、同頁記載のQRを読み込んだ先にある6分強の動画コンテンツで補足している。URLを参考資料に記載しているので、興味あれば視聴を願いたい。少なくとも本記事執筆段階では、動画は誰でも見られるようになっている。
余談ではあるが、教科書本文の句点の付け方の癖が強く目に障った。
大修館書店 『最新 中学校保健体育』
これまであげた2社の教科書は、章末資料として性の多様性に関する記述を載せていた。それに対し本書は章の途中に記載がある点が特徴的であり、また、その分量の多さも他社との差別化になっている。具体的には、2章5節「性への関心と性情報への対処」の直後2ページにわたり、「「性」についての固定的な考え方に気づこう(発展)」というタイトルで性の多様性に関する特集記事が掲載されている。
なお、これだけ力をいれて性の多様性に関する記述を掲載しているが、本書の特設サイトには、特筆すべき記述は見つけられなかった。
特集前半では、「男性らしさ・女性らしさとは何か」と問い、男女性役割論が現代では廃れてきている例として、男性の育児参加を促す父子健康手帳の紹介や、男女の区別がなくなり呼び方が変わった職業名を挙げている。
こうした導入を受けて次の問い「人間の性はいくつある?」へ続く。以下に内容を引用しながら紹介していく。
人間の性を、体の違いによって男性と女性の2つに分ける考え方は、日本の社会に根強く残っています。しかし、人間の性は単純に「男性」と「女性」に分けられるものではありません。
現在では、人間の性は右の図のように複数の要素(体の性、心の性、好きになる性、表現する性 括弧内引用者補足)から構成される、と考えられています。
ここまでは取り立てて特徴のない記述である。しかし、この後の記述は前述の東京書籍とはかなり性格を異にし、
多くの人は体の性と心の性が一致していますが、これが一致しない人や同性を好きになる人などもいます。こうした人たち(性的マイノリティ)は、周囲の理解を得られず悩んだり、偏見や差別を受けて苦しんだりすることも少なくありません。
と、明確にマイノリティと定義してきた。これは当然ながら誤った記述などではなく、東京書籍が「あるべき形を伝える」事に価値を見出したの対し、大修館書店は「現状を伝える」事に重きを置いたという違いである。
同社は続けて、心の性と異なるトイレの使用や制服の着用、差別やいじめ、無視といった、性的マイノリティの人たちが抱える不安や悩みを例示する。さらに、
性的マイノリティであることを本人の許可なくほかの人に教えることは、その人にとって大きな苦痛になります。勝手に話してはいけません。
という極めて具体的な注意喚起を行う。これはいわゆるアウティングという行為を禁止する呼びかけであり、2015年の一橋大学アウティング事件や、2022年からのいわゆるパワハラ防止法の施行といった社会情勢を背景に掲載された文言かと思われる。
また、望ましい配慮として「信頼してカムアウトしてくれた友人に話してくれてありがとうと伝え、勝手に暴露しないことや困ってることがあれば協力することを伝える」という事例をイラスト付きで紹介している。
現状を伝えた上で、同社の考える望ましい対応を具体的に示そうとしている姿勢は面白い。ただ、「カムアウトに礼を言う」という行為を望ましい事例として紹介する事は、少々穿った見方ではあるが、「性的マイノリティとされる人々は普通ではない」という認識を肯定する事にならないだろうか。
この特集資料の最後に、"制服デザイナーに聞く「性の多様性」"というコラムがある。デザイナー氏は「だれがどの制服を選んでもよい」「性差を感じさせない」という点を重視して制服を作成していると紹介されている。そして、
5年後、10年後、社会はもっと多様な人たちが可視化されるようになると思いますが、私たちは学校制服という点から解決に向けてアプローチしていきたいと考えています。
というデザイナー氏の言葉でコラムを結んでいる。いわずもがなではあるが、このデザイナー氏は「性の多様性にという話題における大修館書店のメタファー」である。
”多様な人たちが可視化される”という表現の背景には、多様な人たちを見る「普通の人(である我々)」がいる。”多様な人たちが可視化される”事は「解決に向けたアプローチが必要な事」だ。大修館書店はそう述べているのである。
最後に、この教科書における性の多様性に関する特集のタイトルを再掲する。
「性」についての固定的な考え方に気づこう
大日本図書 『中学校保健体育』
性の多様性に関する明確な記載は無く、かなり抽象化された表現で書かれたコラムのみ。以下該当箇所の全文を引用。
私たちには、生まれついての生物学的な性別(男性・女性)があります。一方、私たちが生きる社会のなかには、社会によってつくりあげられた「男性像・女性像」があります。
これらを理由に、「男性らしさ・女性らしさの押し付け」や「男性なのに・女性なのに」といって誰かを非難するようなことがあってはいけません。
私たち一人一人が、性別に関わりなく、その個性や能力を大切にすることができる社会の実現に取り組むことが大切です。
これまでの3社に比べ圧倒的に少ない分量、性自認や心の性といった表現も無し、LGBTやSOGIEといった用語の解説も無し。
それでも大日本図書のwebページにアップロードされた「R7年 中学校保健体育 内容解説資料」では、”現代的な諸課題に対応:未来を生きていく子ども達が、様々な状況や変化に積極的に向き合い、自分自身の 考えを持って生きていくことができるよう、多くの現代的諸課題を取り上げています” ”多様性の尊重” などと謳っている。
テレビドラマ三年B組金八先生で、性自認に悩む中学生が取り上げられたのが2001年である。当時で御年70歳を超えていた脚本家の小山内美江子氏は慧眼であったが、それももう20年以上昔の話。
大日本などと嘯く出版社は、我々とは異なる世界線に存在しているとでも言うのだろうか。それとも「多様性を認めない」という考え方を持つのもまた多様性の形、などという詭弁を弄しているのか。
令和になっても贈賄や接待を繰り返し行い、当時の文部科学大臣に「極めて遺憾」と言わしめ、前代未聞の「内容問わず教科書検定不合格」という罰則を受けた出版社は、言葉通り次元が違った。
参考資料
※本文で登場順に掲載
※URLは全て2024年10月18日にアクセス
PRIDE JAPAN「来春からの中学教科書で「性の多様性」についての記述が大幅に増えることが明らかに(2020/03/27)」(https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2020/3/31.html)
文部科学省「【保健体育編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説」(https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387018_008.pdf)
森昭三 佐伯年詩男 他32名 2024『新・中学保健体育』Gakken
Gakken「学研R7新・中学保健体育_内容解説資料」(https://gakkokyoiku.gakken.co.jp/manabi/assets/download/hotai/R7chotai_naiyoukaisetu.pdf)
戸田芳雄 他51名 2024 『新編 新しい保健体育』東京書籍
東京書籍「性の多様性(動画)」(https://ww7.tsho.jp/07j/ht/030/)
東京書籍「デジタルパンフレット:新編 新しい保健体育」(https://tokyo-shoseki.meclib.jp/R7hotai/book/index.html#target/page_no=1)
友添秀則 衛藤隆 他29名 2024 『最新 中学校保健体育』大修館書店
池田延行 大津一義 他32名 2024 『中学校保健体育』大日本図書
大日本図書「R7年 中学校保健体育 内容解説資料」(https://www.dainippon-tosho.co.jp/introduction2025/contents/files/r7pe_naiyou.pdf)
「永岡桂子文部科学大臣記者会見録(令和5年3月31日)」(https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00365.html)