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「あなたのせいで私たち親族は…」─南部裂き織りを光で照らす姉妹
「私も親も、妹を蔑んでいました。あなたがそんなことしているせいで、我々親族は大通りを歩けない、と」
先日、NHK『小さな旅』を見てみたら、青森の南部裂織り工房が出てきまして。映った作品はどれも洗練され魅力的に見えました。工房をとりまとめる90歳にもなろうかという女性が応えていました。裂織りを始めたきっかけは、今は亡き妹だったと。
もともと、どの家庭でも古布を再利用して織物をこしらえていたのが、時代とともに誰もやらなくなり、“ボロ織り” と蔑まれていた当時、身内の残した裂織りを手にした妹が、ひとり取り組み始めた。しかしそれを親族皆、よく思っていなかった。「あんたのせいで大通りを歩けない」。
この言葉を聞いた瞬間、私の身体にショックが走り、しばし突っ伏してしまいました。言われてどんな思いがしたでしょう。
……なんでも、先駆者とはそういうものかもしれません。
そしてどうするか。
そんな身近な人たちの声に挫け諦めるか、それでもそれに魅せられ夢中になることをやめないのか。その違い、なのかもしれないですね。
やがて、
妹を恥とまで思っていた姉は、今ではすっかり裂織りに魅せられ、技術とセンスとを発揮して、多くの仲間を得て、こうも仰っていました。
「ボロ布がアートになる。最高じゃないですか。」
……先駆者とはそういうものかもしれません。
今では、体験教室やカルチャースクールも開かれるなど、誰もが気軽に取り組めるかたちにまでなっている裂織りですが、どんなものでも、誰もが去ってしまった泥の闇の中に、ひとり光を当て続けた先駆者の歩みを思いを至らせること。これが、後に続く人たちにとって、違いとして現れてくる何か、なのかもしれません。