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kosuketsubota
瞑想の安全性を保つための3つの観点
はじめに
瞑想によって心身のバランスを崩す可能性があるそうです。
私は幸いそのような経験はありません。
その理由は幾つか想定できますが、今回は考え方についてお伝えすることにします。
時間の都合でエッセンスのみになっていますが、折に触れて追記する予定です。
また、ご質問があれば、それに回答するような補足をすることも検討しています。
ひとことで言うと「中庸」
安全に瞑想をするためには、中庸であることが大切と考えます。
中庸とは何か。
辞書的には「偏りのないこと」というような説明になるかと思いますが、実生活に応用するためには抽象的すぎます。
では「中庸」を実践するためには具体的にどのように考えればいいか。
その観点は3つあります。
「科学的であること」
まずひとつ目は「科学的であること」です。
科学的に妥当と言えない希望や体験には取り合わないことで、検証不可能な袋小路に嵌って、先鋭化することを予防することができます。
もちろん、科学は世界の全事象を解明しているわけではありませんので、科学的に説明できない出来事が、瞑想によって起きる可能性は否定できません。
しかし、科学的精神に立脚することは、瞑想の安全性を重視するのであれば大切なことと考えています。
「身体性」
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