『富嶽百景』(太宰治)を夢見て、走り、駈け、訴えるところまで。
HAKOMACHI 19/31冊目
こんにちは。せいたです。
8月から、神保町の大通り沿いの店舗で正式に棚主デビューをしました。
今日は冒頭のつかみが最高におしゃれで美しい、そんな小説を紹介します。
冒頭がいい小説大喜利
人の見た目は第一印象で決まる、などとよく言います。
小説も然り、冒頭の一文で心を奪われると、終わりまで一気に読んでしまいます。
ふと考えてみると、僕が好きな本は書き出しが面白いものばかり。
伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』。
デビュー作でこんなに軽やかに書き始められるの?という驚き。
芸術的な美しさで始まる『重力ピエロ』。
学生時代を振り返りながら、ノスタルジーから不気味で殺伐とした雰囲気に入り込んでいく『グラスホッパー』。
冒頭だけ読んでも、十分価値のある、そんな小説が続きます。
村上春樹さんの唐突感も好きだなあと思いながら、僕の本棚には結構冒頭に力を入れている作品、もしくはそもそも短いものが多いかもしれない。
詩的な美しさが結構好きなので。
『富嶽百景』太宰治
太宰治の作品集、『走れメロス』が売れました。
数あるメロスの中で、この作品が入っている作品を選びました。
高校の国語の授業で出会って、その出だしの書きっぷりに心を奪われました。
絵に描かれる日本人にとってのあの大きな存在は、実物よりも尖って見える。
でも実際に見てみると、ひらべったくて、おおらかな見た目。
自身をモデルにしたような、そんな主人公が、かんづめになっている宿での日々を描く。
得意の深読みで、その情景描写の中にある心理的な描写を探ろうと、必死で試みた記憶があります。
太宰が何を伝えたかったか、本当のところはわからないけど、今だったら僕はどう思うだろうか。
憧れの存在は、遠くから眺めていると尖っているように見えるけれど、近くからみると丸い部分も見えて来て、親しみを感じる、といった思いもあるし。
実際はどうか、ということよりも、どうあってほしいか、が世界を動かしているなあとか、なるほど、あの時にはない感覚で文章を捉えている。
そのままの自分で書く人
太宰治は、そのままの自分で、そのままの言葉で、等身大に表現をする小説家というイメージがあります。
まるで自叙伝のように描いた作品もあって、ただの作品の傍観者ではいられないような。
『駈込み訴へ』という作品があります。芥川龍之介のように、過去の逸話を彼なりに解釈して書いた作品です。
モデルは、キリスト教に登場する、裏切り者のユダ。
ユダがキリストが隠れている場所を告げ口するところを描いているのですが、恨み言を言いながら、キリストを警吏に差し出す場面なのに、どこか彼への尊敬や思いを捨てきれていないような素振りを見せます。本当に憎んでいるのではなく、愛情の裏返しが彼を駆り立てています。
良いことも悪いことも絶対値高く描き出す人間らしい文章。
今自分は生きているんだと、走り、駆け、激怒し、訴える、そんな人生を生きているんだと、改めて実感させてくれます。