利害関係のない関係性・一定の距離を保つこと
読書会にて
こんにちは。
今日は先日参加した読書会で投げかけられたテーマについて、考えていきます。
みなさんには、仕事とも家庭とも関係ない間柄の人はいますか?
どの程度のニュアンスかというと、
例えば、よく立ち寄るコンビニの店員さん、よく行くカフェの店員さんのような関係性。
または、ちょっとマイナーチェンジして、行きつけの美容室の店員さん。
タクシーの運転手さんのように、その時だけの関係性の人の方が本音を吐露できる、という人もいるかもしれません。
さて、みなさんの生活の中で頭に思い浮かべたその人たちに、普段は家族や友人にも打ち明けられないことを話せるでしょうか。あるいは仕事や生活のちょっとした不満でも、伝えることはするでしょうか、また伝えたいと思うでしょうか。
覚えているか、いないか微妙なくらいの居心地の良さ
僕の地元の行きつけの店長は淡白です。いつも僕が店を後にする時出てきて、顔は認知しているはずなのに、表情ひとつ変えず、会計を済ませる。認識されているのか、いないのか、わからないけれど、そのくらい放って置かれている方が気楽な時もあります。
どなたかは忘れてしまったのですが、エッセイかSNSの投稿で、
「お店の人には覚えてほしくない。」
「『いつもありがとうございます』と呼ばれた途端、『また新しいお店探さないとな』『いいお店だったんだけどな』と思う」
と書いていて、行きつけにしたいけど、認識はされたくない、と言う人は一定数いるみたいです。
いつも覚えられている、という居心地の悪さ
僕の職場には、絶妙な美味しさのお弁当やさんがあります。それでいて、値段も高過ぎず、ランチが1000円を超えがちなオフィス街のサラリーマンには強い味方です。
このお弁当屋さんの魅力のもう一つが、お弁当を売ってくれているおばさんです。いつも元気にお弁当を売ってくれ、毎回何か一言付け加えてくれるのです。
「今日のチョイスはバランスがいいね」
「唐揚げ大きいの4つと小さいの5つどっちがいい?」
行列を前に毎日元気にお弁当を売るおばさんに、いつも元気をもらっています。
ですが、ふと思うことがあるのです。
「覚えられていることが、今日は辛いな」
「今日は、うまく笑える気がしない」
「余計に気を遣わせてしまうかな」
そしてコンビニで別の物を買って帰る、こんな日があります。
覚えられていることが辛い、なんだか贅沢な悩みです。
ただ、満面の笑みで、ありがとう。そして、大盛りのカレー。
覚えていてほしいけど、覚えていてほしくない、そんなわがままな自分はどんな距離感だったら満足するのか。
日本橋にある行きつけの立ち食いそば屋。蕎麦屋なのに、インドカレーが有名で絶品なのです。僕は、いつもカレーと蕎麦のセットを注文します。
社会人1年目から4年目にかけて、ずっと日本橋で働いていた僕は、夜遅くはもちろん、休みの日まで職場に来て、仕事をしていました。
そんな時、夜の残業に向けて、少し休憩がてら毎日食べに行っていたのがこの蕎麦屋のカレーでした。元気にチャキチャキとしたおばあちゃんと実直そうで笑顔の柔らかいおじさんが切り盛りしているお店は、提供の待ち時間を見ているだけで元気になれる素敵なお店でした。
そしてとある時から、顔を覚えられた僕がカレーを注文すると、何も言わないのにお皿いっぱいの大盛りにして、出してくれるようになりました。
ですがおじさんは、どんなに僕が通い詰めても、お客さんに聞くいつもの質問だけは、決して崩しませんでした。
「そばは暖かいやつですか、冷たいやつですか」
「かき揚げはそばに入れていいですか」
「揚げ玉は入れますか」
何度訪れても、その質問は毎回聞かれるのです。僕が毎回同じ回答をするにも関わらず、それをかけようとはしないのです。
それでいて、僕のことを覚えていないかというと決してそうではなく、来店の度に笑顔でいらっしゃいませと声をかけてくれ、そして黙って大盛りのカレーを出してくれるのです。
決まった通り、必要なことを淡々と。その中でこちらが嬉しい気分になることをさらってやってのける。そんな姿に惹かれているのかも、しれません。
余計なムラがないこと。嬉しいムラがあること。
そんなことを思い出した後だったので、無性にそのカレーと蕎麦が食べたくなっていました。でも日本橋店は間に合わない、なので上野にある支店へ。
いつもと同じメニューを注文します。すると、いつもはそばにのせるはずのかき揚げが、別皿に盛られて出てきます。
たしかに、これならサクサクの食感が維持できるな。
そんなふうに思っていると、
「かき揚げに蕎麦のつゆをかけますか?」と聞かれます。
なるほど、蕎麦つゆにつけないままでも食べられるように、つゆを別途出かけてくれるサービスがあるのか。妙に感動をして、つゆをかけてもらうことをお願いして、席につきました。
確かにこのお店はチェーン店なのですが各店舗に色があります。銀座店はラーメンの麺に変えられるシステムがありました。
なぜこんなことを書くかというと、読書会の最後に、アメリカのマクドナルドは美味しくない、という話がありました。今はきっとそんなことはないのかもしれないですが、店によって品質にムラがあったのだというのです。
でも、私の行きつけのそば屋は、店ごとのクオリティは下げず、店ごとに色がある。嬉しいムラがある、そう思ったのです。
基礎的なこと、当たり前なことを徹底した上で、地域や関わる人ごとの色が出る。そんなムラだったら、いいなと思いました。
人間関係性も、基礎的なものが最低限整っているからこそ、その先のバリエーションを楽しむことができるのだ。そんな風に、着地しました。