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マンガ短評:『フールナイト』1~8巻

『フールナイト』既刊1~8巻(新刊9巻は9月30日発売予定)
作者:安田佳澄
ビッグコミックスペリオール(小学館)

 今回は『フールナイト』既刊1~8巻について批評していきます。

 一言で言えばめちゃくちゃ面白いです。ちょっとグロ表現あるくらいで、あとは手放しでおススメできる。
 ディストピアものとして「転花技術」という設定自体がまず面白い。その設定を上手く説明しつつ物語を展開していくので、ぐんぐん引き込まれる。
 また、感情の動きや葛藤を描くのが上手いので、物語のリアリティも抜群で没入感もある。物語への没入を促す圧倒的なリアリティには2つの側面がある。1つは現実のレイヤー、もう1つは心理描写の巧みさにある。

 第一の現実のレイヤー、「ディストピアもの」とは現実を映す鏡であり、現実社会における政治的腐敗、格差、貧困、暴力、さまざまな問題を背景として、物語世界に厚みを加えつつ、現実社会を逆照射する。
 かといって諷刺的でもなく、説教臭くもない、しかし、ナイーブな若者の内面世界に終始してもいない。物語世界の、カッコつきの「現実」に生きる人々を活写するリアリティがある。
 例えば、現実におけるポストトゥルース、人は正確な情報よりも信じたいものを信じるというような問題を背景とした描写もあるし、教育格差、知的貧困による悲劇も描いている。特に後者は「火垂るの墓」のような壮絶さがあり、その描写は正に胸が張り裂けるばかりの迫力がある。
 絶望に苛まれた眼差しが、貧困のために歪んでしまった倫理観が、読者に自らの立場を否応なく問い直させる。「豊かになる」とは、一体何なのか。

 第二のレイヤー、心理描写の側面は、やはりそこに「現実」があり、そこに生きる人々がそこに生きているなりの行動原理を持っている、要は「登場人物が勝手に動く」ように見える描き方。そして、それらの行動原理も老若男女、多種多様な人々に亘る点も驚嘆すべき点。
 そしてやはり、そのリアリティを背景に描かれるドラマ性。情愛、葛藤、正義、絶望、怒り、信念、諦め、執着、そういった様々な人々の心の動きが群像劇として美しく織り成されている。
 特に「愛」。自己犠牲の愛、その崇高さ、その美しさ、そして狂気。使命を帯びた狂気の愛が生み出す気高さ、それとは対照的に、血に塗れた惨状が皮肉にも「現実」の醜悪さを叩きつけてくる。おぞましくもあり、聖らかでもある、その「愛」の描写は圧巻と言ってよかった。

 一方で、主人公の「成長の物語」としても軸がブレない。読者に突き付けられた「問い」は、主人公が向き合うものでもあり、葛藤を覚えながらも、その「問い」に正面から向かい合い、読者とともに答えを探していくような構成になっている。見事な手腕。

 『フールナイト』9巻は9月30日に発売予定。
 今後の展開が非常に楽しみな作品です。めちゃ期待してます。
 今なら1~8巻が無料で読めるそうです。気になったら是非。

 一点、言葉を扱う身としては気になる表現があったが、ここでは触れないことにする。ポストトゥルースや教育の問題に関連して、ある種のメタ的な分析になるため、また別の機会に考える材料にしたい。

 ところで、僕は「本」というものに関してだいぶ前時代的な感覚の持ち主なので、ネット通販や電子コミックが発達したこの時代においても街の本屋さんに出かけて行って、面白そうな本を物色するということをよくします。そんな時に出会った本の一冊がこの『フールナイト』でした。
 ある本屋さんに『フールナイト』のポップ(というか、原稿のコピーか?下記ポストの1枚目の画像)が出ていて、目を引かれました。

 本屋さんでこの1ページを見て、「転花」のおぞましい描写とその設定の魅力にガッチリ心をつかまれて、面白そう!と思ったのですが、タイトルが書かれていなかったので、近くにあったコミックを手あたり次第繰り出して探す羽目になりました。タイトルぐらいは書いておいてほしいな。
 しかし、その苦労の甲斐あって、読んでみたら全くのアタリでした。こういう出会いがあるから本屋さんを徘徊するのはやめられない。

 こういう宣伝方法を「ネタバレ」として忌み嫌う人も多そうだけど、僕はそうは思いません。作品は読まれなければ作品たり得ませんから。より多くの読者を得るための、作り手の工夫や演出、営業努力までも「ネタバレ」と断じてしまう今の風潮は、どうも窮屈な感じがして、そういう窮屈さを僕はあまり好みません。
 実際この営業努力で読者がひとり増えてるわけだし、作品の入り口は何も作品の1ページ目でないといけないなんてこともないんですよね。そういうお行儀のよさの必要性を、僕は感じないし、作り手が「ここを見てくれ!」と思って出している情報なら、その意図を汲んで、それも作品の一部として楽しむゆとりがあってもいいと思っています。作り手側だって、作品の入口が限られて、話題にすらならないという状況は困るから、色々と工夫が必要なのに、思考停止で「ネタバレだ!」はちょっとあんまりですよね。
 現代社会はどうも「ネタバレ」に対して神経質すぎるというか、ともすれば無批判に「ネタバレは悪」と断ずる集団ヒステリーのようなコンセンサスが醸成されつつあるように思われてならない。杞憂であればいいのだけど。これについては、また別の機会に。

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