<産経抄>社会に巣食う「魔」防ぐ手は、長野の殺傷事件2025/1/24

「私は発見した。自分の無知であったことを、そしてこの発見はこの監獄で少しばかりの勉強の功であることもである。私は囚人の身となり、もはや遅しである。世の中ままならぬである。このような大事件を犯さなければ、一生涯、唯の牛馬で終わったであろう」 永山則夫

>昔から、空間と空間の境界、あるいは道と道の交わる場所では、怪異な現象が起こりやすいと言われてきた。橋のたもとや坂の頂上、四つ辻(つじ)などを舞台とする怪談が多いのは、そのような場所に魔が潜んでいるからだそうである。

トラックにはねられて異世界転生みたいなもんだなw

>現代の都市空間に潜む魔に、昔のセオリーは当てはまるのだろうか。ニュース映像などを見る限り、現場は死角の少ないバスロータリーだった。JR長野駅前で男女3人が刺され、1人が亡くなった事件である。犯人は無差別に襲ったとみられる。
>北九州市では先月、中学生2人がファストフード店の中で、男に刺されて死傷する事件もあった。犯人が何の前触れもなく凶行に及んだ点で、2つの事件は似ている。無防備な人を襲う卑劣なやり口に肌が粟(あわ)立つ一方で、強い憤りもまた抑え難い。

通り魔事件は犯人には全く利益をもたらさない
それでも起こるのは孤独、無知、心の病、薬物
被害者にとっては前触れなく襲われているが犯人には前兆が必ずあったはずだ

>昨今は電車内のモニターで、トラブルへの対処方法をアナウンスする動画を目にすることが増えた。そばにいる人が互いに助け合う、「近助」という言葉もよく聞く。防刃用の着衣などを勧める声もあるにはあるが、備えには限界があろう。凶行のもっと手前で打つ手がないか。

「防犯カメラ」は欲望を満たすための窃盗は防げるが通り魔や確信犯には無力
防犯カメラ大国の中国でも「無敵の人」の犯罪は防げない
社会全体で犯罪者を生まない社会にしていくしかない

>道ですれ違う人もいれば、同じ車両に乗り合わせる人もいる。疑いだすと外を歩けない。北九州の事件で逮捕された男は、前から奇声を上げるなど問題行動が見られた。社会のどこかに巣くう「魔」の暴走を、未然に防ぐ手立てはありそうな気もするのだが。

医療や福祉の問題なんだろうな
「魔が差す」とかいうオカルトじゃなくて「人格を破壊された人」
「心の闇」とかいうマスコミの定型文では何の解決にもならない

斎藤元彦も同じく「人格を破壊された人」で
刑法の罪は行っていないが3人の命を奪う「永山基準」なら死刑に相当する罪を犯した
昨日引退したN氏も所属事務所での性虐待で人格を破壊されて「虐待の連鎖」を起こした可能性がある

教育の劣化や不登校の増加で新たな永山則夫を生み続けてはいないだろうか
映画の「ジョーカー」は永山の「リアル」だ

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