読書の感想ではない感想~小林登志子『古代メソポタミア全史』~

小林登志子『古代メソポタミア全史』を読んだ。
(この手のジャンルを抽象的にどう表現するか知らないので「学術読み物」としておく)

学術読み物での「ありのままをどう伝えるか」に対する著者,編集者の工夫や表現の選択というのが大好き。
抒情的に寄った表現は学術的な意義を薄れさせる可能性があるし、かといってお堅い論文のような形式では一般読者を寄せ付けない。
ポップでキャッチーだけどちょっと心配な論説と、面白みは無いけど現状確からしい論説のどちら側に寄って立つのか。かといって真ん中すぎるのもそれはそれで面白みに欠ける気はする。
いかにこれらの塩梅を調節するのか、そして文章にどういった抒情性が残されるのか。おもしろくないわけはない。

で、こんな前置きを書いておきながら、この記事の本題は、本書の本題についてではない。(ややこし)
本書の「あとがき」が良かったという話。

知らなかったのだけど、通史を一人で書こうというのは躊躇されがちらしい。(それもそうか)
それでも著者はメソポタミア中心に通史を一人で書いたわけだが、曰く、著者が半生で行ってきたこと、それに対してどう考えているかを書く義務感と、殊メソポタミアの歴史に対する興味の入り口を作りたいというのが本書の書かれた理由だそうだ。
まぁ正直、こういった理由で書かれた本は珍しくない。
この後には、本書が描かれた2020年の状況、つまりコロナ流行真っ只中での、日本という国に対するに悲観と、歴史を語るということに対する「鎮魂」の側面が語られるんだけれど、
暗い!!
この著者、日本の将来を憂いている!

そんな感じなのだが、最後の一文で不覚にも涙腺が緩んでしまった。
悲嘆とか絶望とか、そういうことではなく(それならとっくに泣いている)、言葉にすると安っぽいという表現すら安っぽいが、希望が滲む一文だったからだ。
「不要不急」の事が避けられ、著者の仕事も休講となる中で、無観客で開催された競馬を書いた文章。
飾り気の無い、状況を素直に表した文章で美文とも言い難いけど、妙に感動した。(ちなみに僕は競馬を全くしらない。ウマ娘はかわいい。)

「あとがき」が良いから読め!とは言えないし言わないけど、
もしも古代メソポタミアに少し興味があるとかだったら、それ目的で読んでほしい。なんせ入門を目的に書かれてるわけだし。

なんかAmazonのリンク貼るの嫌だったので、hontoのリンクにしておきます。
出来れば本屋で買ってくれると、元書店員としてはうれしい。

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