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15 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」 5億円の小切手はどうなったのか〜

5億円の小切手はどうなったのか


7億5000万円搾取・金の流れ 


  わたしは再度、金の流れを整理した。
問題は、同日、東京東信用金庫が振り出したこの小切手(銀行振出小切手=通称よて)3枚はその後、どうなったかという点だ。

 2006年7月20日の弁論要旨には、こう記されている。

【被告人竹中※は(略)本件の5億円の小切手1枚が誰の手に渡り、その後、どうなったのか、1億円と5千万円の各小切手は誰の手に渡り、その後、どうなったのかについては小切手そのものを全く見ていないし一切知らない】※=筆者が氏名を修正

 実際に竹中に聞いてもそのゆくえは知らないという。事件が発生した2005年7月28日から、翌年8月8日に竹中に実刑判決が下されるまでの1年間、このZ会事件は多数報じられたが、この小切手のことは触れられていないので詳細がわからない。

 犯人逮捕までは捜査上の問題があるため詳細が伏せられていた可能性も考えられた。(事件から竹中らが逮捕されるまでに7か月弱、Z会の吉永が逮捕されるまでにさらに1か月弱を要している)

 しかしそうだとしても、その後も小切手が回収された報道はどこにも出ておらず、ニュースだけを追えば、Z会の関連会社が「7億5千万円もの金を失った」ことになっていた。

 アサクラが、アフラトキシンなどの毒物ビジネスをしていたという男だけに、万世橋署で刑事から聞いたという「5億円の小切手が名古屋で呈示された」「小切手を持っていた長野の資産家が死んでいた」というミステリアスな話が気がかりだった。

判決文にあった微妙な表現


 ある日、東京地裁刑事第2部で2006年8月8日に竹中に言い渡された判決文を読み直していると、次のような一文があることに気がついた。

【また、本件では、直接の被害額は7億5千万円であるところ、その実質被害額を見ると、振込先口座から現金で引き下ろされた1億円はそのまま行方不明となり、そのうち共犯者らにより弁償された分を除く8900万円は未だ被害回復のなされていない損害であり、また、小切手で引き出された額の一部については所持人の権利行使による実損害の危険性が払拭されていないのであるから、本件により生じた結果は重大である】

 ここにある「また、小切手で引き出された額の一部については所持人の権利行使による実損害の危険性が払拭されていない」というセンテンスにわたしには引っかかった。

 文章のつくりは「小切手で引き出された額の一部」→「実損害の危険性が払拭されていない」となっている。つまり、「一部」は「危険性が払拭されていない」のである。言い換えれば、「大半」は「危険性が払拭されている」ということなのではないのだろうか。よく読めばそう解釈できる。

 わたしは「5億円分の銀行振出小切手はすでに回収されている」と踏んだ。後述するようにその推測は当たっていた。

 なぜ捜査員は、アサクラや小切手のことを発表しなかったのか。考えうるのは、表に出すときはあくまでアサクラを捕まえたときだと考えており「捜査当局は主犯を取り逃がしたことを絶対に表沙汰にはしたくなかった」からである。名古屋で小切手が呈示された線を追ってもアサクラを逮捕できなかったので、あえて表に出さなかったということではないだろうか。

 これらを確認していくには、まず小切手3枚が回収されたということを確認するのが先決だ。当時、このZ会事件の渦中にいた人物を探し出して直接、聞いてみるほかはない。わたしはそう考えた。

事件の渦中にいた男に会う


 古い事件でもあり、当時のZ会事件を知っている当事者はすぐには見つかりそうになかった。吉永本人はすでに当時のマンションには住んでいない。だれに聞いても吉永のその後はわからなかった。しかしそういった関係者に会わねば何もわからない。

 わたしは幾度かZ会のある静岡県三島市に通って探っていた。2年間ほどZ会事件のときに渦中にいた人物を探していたところ、なんと事件当時にこの会社の総務部長であり、しかも吉永の直属の上司だった人物、富田明(仮名)の所在が判明した。

 富田は事件のあと、犯罪の舞台となったZ会関連会社を退職し、すでに別の仕事に就いていた。

 本人が簡単に会ってくれるとは限らない。しかし富田はプロパーではなく、大手商事会社からZ会への転職者で、すでに退職者である。Z会の要職に就いている人よりは情報が得られる可能性が高いと考えた。

 2019年6月7日、小雨の降る中、わたしは同僚の樋口敬子と2人で東京都渋谷区にある富田の自宅を訪問した。

 Z会事件で逃亡した主犯のことが知りたくて訪ねてきたことを伝えると、「当時、総務部長として赴任したばかりでこの事件に巻き込まれた人間なので、あまり詳しくはないが、お役に立てるなら」と前置きして教えてくれた。

「僕が4月中旬ごろに会社に赴任したとき、恵比寿の教室を売るからと言われて。そんな多額の現金はリスク高いですよと社長に言ってね。僕は吉永に言って、無理やり稟議書を書かせて、せめて定期預金にでもしとけというふうにした覚えがありますよ」

 その富田の提案によって、売却代金のうち約12億円は、2005年8月1日に定期預金にすることが決まった。その話を知った吉永が焦って、アサクラや竹中にそのことを伝えたため、その直前の7月28日に事件を起こした。

「でも、あの事件で一番最初に疑われたのは、実はわたしなんですよ。うっかりすると犯人にされてもおかしくないくらいで。だって、わたしは(吉永の)直属の上司だったわけでしょ。お前らが結託してやったんじゃないかって。そういうような目で、神田警察署で見られたけどね。刑事の名前まで覚えてないけど。最初はタバコ吸っていて突然目の色変わって、おいお前がやっただろうって感じになったからね。怖かったですよ」

 刑事らは、吉永とその直属の上司である富田が結託してこの事件を起こしたとして、富田を疑ったのだろう。

 竹中もわたしにこのように話していた。

「オレが逮捕されたあと、刑事らは、ずっと吉永の上司を疑ってたんすよね。吉永が1人でできる犯罪じゃないから、その上司が、吉永にやらしたんだろうと。それで、その上司もけっこう調べたはずっすよ。オレにもさんざん、その上司のことを知らないかと聞いてきましたから」

 その後、吉永はどこに転居したのか。消えた6億5千万円分の小切手は回収されたのか。どういう話があったのか。

「当時、Z会では、もう事件のことを、ひた隠しにしていましたからね。その後の詳しいことも、わたしにさえ、何も知らされなかったんですよ。吉永が刑を終えて刑務所から出てきたらしいという話はありましたけどね。どこで何をしているのかもまったく知らないです。結局ああいうことになってですね、わたしとしては寝耳に水のような話で。ただ、わたしの知る限りは、その小切手の5億円はすでに(Z会に)戻ってきたようですよ」

 やはり富田の話では、5億円分の小切手の被害は回収されたとの話である。

「小切手の5億円は回収されたんですね」とあえて聞き直すと、富田は「それは間違いない」と答えた。

 吉永に会えばすぐにわかることなのだが、では、吉永に配分された1億5千万円分の2枚の小切手はどうなったのだろうか。しかし富田は「それについては、まったくわかりません」と言う。

 最後に「Z会に恨みはないですよね」と聞いてみた。富田は即答した。

「ありますよ。すごくあります。わたしはどっちかというと被害者ですから。当時は感謝されてもいいぐらいなのに、(Z会は)すごく冷たい感じで」

 彼から聞けたのはこれらのコメントだけだったが、大きな収穫だった。富田は、当時、Z会事件の主犯とされた吉永の直属の上司であり、総務部長だった人物で、事件のまっただなかにいた。いわば当事者と言っても過言ではなかった。吉永の直属の上司であった富田にさえ、事件処理の経緯やその後については、ほとんど何も知らされていなかった。

騒然となったZ会内部の状況


「Z会」は、この事件の舞台となった対面教育の親会社だった。

 2021年1月、Z会のウェブサイトには、グループ売上高733・7億円、グループ会員・生徒数約33万7千人、教室数1163、拠点数83とある。

 国内屈指の「通信教育の大手」で、極めて優良な企業であることがわかる。その合格実績は東京大学1208人、京都大学961人、早稲田大学2447人、慶應義塾大学1770人とある。

 Z会という名称は、そもそも会員がつけた愛称であって正称は「増進会」だった。

 株式会社増進会出版社が「増進会」(愛称はZ会)の名称で通信教育事業等を行い、「株式会社Z会対面教育」が教室での教育事業を、そして株式会社Z会出版が出版事業を行っていた。2006年2月1日に持株会社体制へ移行し、子会社だった株式会社Z会出版に増進会出版社の事業を移管、同時に株式会社Z会対面教育と合併させて、事業会社として株式会社Z会に社名を変更している。事件が起きたのはZ会の関連会社であったが、Z会全体にとっても由々しき事態だったに違いない。

 当時、内部犯行の線が濃厚であったため、社員らはことごとく疑われ調べられた。こういう状況は、どんな会社にとっても不幸なことである。
何しろ自社の口座から大金が消え、犯行の手引きをしたZ会の吉永が逮捕されるまでに半年以上かかっている。

 この間、自分らにも疑いの目が向けられているかもしれないと感じた社員ら関係者は不安でいっぱいだった。社内にいる犯人を突き止めるために捜査員らが話を聞くのである。どんなにアリバイがある人でも不安になるのは当然だろう。事実、前述の富田の場合には疑惑の目が向けられていた。

 竹中ら反社会の人間が起こした事件であっても、内部犯行の可能性もあるという点では、世間からは「Z会が不祥事を起こした」と見なされた。事件は新聞やテレビで報じられ、そしてインターネットではあらゆる噂が飛び交っていた。Z会の規模からすれば、たとえ関連会社での事件とはいっても信用毀損の影響は大きい。幹部らが異常なほどにピリピリしたというのは無理からぬことだった。

 取り調べが始まり平穏だった社内は不穏な雰囲気に包まれた。社内のだれかが会社から大金を盗んでいる。たとえそれが数十万円であっても問題だが、その額は7億5千万円。社内が疑心暗鬼になることで仕事にも支障が出る。

 当時、Z会がいかにこの事件を重く受け止めていたかということについては、いくつもの話があった。

 たとえば事件発覚に際して間もなく、その関連会社社長の近松清行はもとよりZ会本社の社長までもが、3か月、20%、そしてZ会の役員全員も3か月、10%の減給を申し出ている。世間に対しての謝罪の意味も込められていたのだろう。関連会社のこととはいえZ会は厳しく受け止めたという証左である。

 事件当時に総務部長だった富田が、「会社は事件のことをひた隠しにしていた」と言っていた。社内は身内が身内を疑わなければならないほどギスギスとしていた。総務部のドアはこじ開けられることもなく金庫内の通帳が持ち出されていた。もし内部犯行だとしたらいったいだれが犯人なのか。本社の人間だろうか。社長か、役員か、はたまた社員か、出入りの業者か。
一般例ではあるが、このような場合は上から下まで一とおりの疑いがかけられる。総務部長の富田が取り調べを受けていたというのはごく自然な流れだったろう。

 さらに捜査員らが吉永に疑いを持ったのには理由があった。

 まず金庫の鍵を持っているのは総務部のメンバーである。しかしながらZ会2階の東大マスターコースや3階のZ会進学教室でもマスターキーが保管されているため、総務部以外の社員が持ち出す可能性もゼロではない。ただ部外者が鍵の置き場所を知り、かつ密かに、社員にも知られずに持ち出すことは難しいと考えられた。

 その点、最も通帳や鍵を持ち出しやすいのは管理者である吉永である。
そして銀行口座の異変に気づいたのは、毎日、銀行残高をパソコンで確認している総務部の女性だった。そこで発覚当日に休みを取っていた経理責任者の吉永に、「7億5千万円もの大金が引き下ろされているんです、その理由を知りませんか」と電話をかけた。吉永は驚いた様子で「すぐに出社します」と答えた。だがその早さにも違和感を感じた者もいた。その後、銀行に連絡を入れると銀行員はぶっ飛んで会社に来て、「事件性があるかもしれない」ということまでをも認めたという。

「社員が窓口に行って、そんな金を引き出した事実はない」と断言するならば、銀行員は「事件の可能性が高いと思われる」と答えるしかなかっただろう。銀行の防犯カメラの録画を確認しても、そこには怪しい格好をした見知らぬ女が映っているだけである。

 吉永に不信な目が向けられた理由を整理すると、およそ次の六つだった。
その一つは、通常は10時に出勤すればいいところを7時台に出勤した日があった。

 二つ目は、事件に使われた払戻請求書には銀行印が押されていたのだが、その銀行印が保管されている金庫には契約印など似たような陰影の印鑑も入っており、銀行印を見分けることのできる人物が限られていたことだ。吉永ならば、当然、見分けられた。

 三つ目は、吉永ならば、経理責任者であり通帳や銀行印を持ち出すことは容易だった。しかも吉永は金庫の暗証番号を知っていた。

 四つ目は、事件前日に通帳記入したのは吉永だった。

 五つ目は、吉永が事件の前日は、最後に会社を退社していた。

 六つ目は、吉永は会社に対しての不満を持っていたと考えられた。

 吉永が会社に対して不満を抱いていた可能性については、いくつかのエピソードがあった。

 事件の2年前のこと、吉永は社内の昇格試験を受けようとしたがこの試験を受けるに当たっては上司の推薦が必要だった。そこで上司である当時の総務部長(富田の前の総務部長)に、吉永は「昇格試験のための推薦状を書いていただけませんでしょうか」と願い出た。しかし「自分はこの会社に出向したばかりで、君のことをよく知らないので推薦状を書くことはできない」と断られた。さらにその翌年(すなわち事件の前年)、吉永は、社長の近松から昇格試験を受けてみたらどうかと勧められた。ところが仕事が忙しく勉強する時間がなかったからか、吉永は経理以外の科目を白紙で提出したのだという。大金を盗んだ言い訳にはならないが、吉永が自社や上司を信頼していなかった可能性がある。

 アサクラの練った計画によって、自社の大金を盗むという大胆な犯行に手を染めた吉永は、懲役5年の実刑判決を受け職を失った。では吉永が手にした小切手はどうなったのか。竹中の話では、吉永はマンションを売却して転居し、売却金を事件の損害賠償に充てたというが、それは定かではない。
2018年の11月にわたしは吉永の住んでいたマンションを訪ねた。八千代市の緑が丘にある住宅金融公庫融資住宅物件で、竹中が歩いたという道のりを同じように歩き、このときの竹中の記憶が正しいことを確認した。

銀行を訴えたZ会の報道

 Z会は、事件後の2006年9月、竹中らに預金を詐取されたUFJ銀行(のちの三菱東京UFJ銀行)神田支店を相手取って、なんと、約1億1千万円の損害賠償を求める民事訴訟を静岡地裁沼津支部に起こしている。つまり、きちんと確認せずに振り込みに応じた銀行が悪いという主張である。

【通信教育大手Z会(長泉町)の進学塾「Z会対面教育」(Z会に統合)の預金口座から七億五千万円が不正に引き出された事件で、UFJ銀行(現三菱東京UFJ銀行)神田支店が本人確認の義務を怠った過失があるとして、Z会が十九日までに、同行を相手に約一億一千万円の損害賠償を求める民事訴訟を静岡地裁沼津支部に起こした。訴状によると昨年七月、Z会の元経理担当者(一審で実刑判決)が共犯者と共謀し、不正に原告の預金口座から七億五千万円を引き出した。金融機関は二百万円を超える預金取引、本人特定事項の真偽に疑いがある顧客との取引については本人確認が義務付けられているがこれを怠った過失があり、預金契約上の債務不履行とした。請求金額は既に回収済みの六億五千万円を除いた】(静岡新聞 2006年9月20日)

 この訴訟の結末は、2008年7月16日、「当時の一般的な注意義務に照らせば、所定の印鑑照合による印影の同一性の確認で、相応の注意義務は尽くしたといえる」として静岡地裁がZ会の訴えを退けている。

 ところが、訴訟が起こされたときの前出の2006年9月20日付の記事を参照すると、そこに「請求金額は既に回収済みの六億五千万円を除いた」とのくだりがあるではないか。

 こんなところにヒントはずっとあったのだった。つまり、Z会が銀行を訴えるにあたって損害賠償を約1億1千万円とした根拠として、7億5千万円のうちすでに回収できた6億5千万円を差し引いたというわけだ。

 6億5千万円が回収されたことは、Z会はもちろん、静岡地裁も報道関係者も、2006年9月の段階で既知の事実だった。

 報道には出ていないものの、銀行振出小切手(通称、よて)の3枚(5億円、1億円、および5千万円)の総額は6億5千万円であった。偶然の一致ではなく、これら6億5千万円分の小切手被害が全額回収されたと考えるべきだろう。即座に、信金の口座が凍結され被害が回避されたのであろうか。
アサクラが逃亡時に持って逃げた5億円分の小切手は、全額回収されていることは間違いないと思われた。

 ならば、「名古屋で5億円の小切手が呈示された」と竹中が当時、刑事から聞いたという話も裏付けられるかもしれない。アサクラに結びつく新情報が得られるかもしれないとわたしは小躍りした。

 また吉永が報酬として受け取ったのは1億5千万円分の小切手だった。これも被害が出る前に回収された可能性が高いと考えられた。

 ただ竹中の裁判の判決時には、判決文を読む限りは、これは回収できていないと思われ、5億円分の小切手とは別に回収されたということだろう。もしくは、(竹中が記憶していたように)被害は出たものの、その損害分を、吉永がマンションを売って弁済したのか。そのいずれかであると思われた。

 小切手が回収されたことへの確信を持ったわたしは、「小切手が名古屋で呈示されたのか」、あるいは「小切手に関係して資産家が死亡していたのかどうか」などを知りたいと思い、Z会に話を聞かせてもらおうと考えた。資産家が死亡していたなどという話は、アサクラのさらなる犯行を予感させるからだ。

 2020年10月23日、わたしは、わずかな期待を抱いてZ会の本社を訪問した。そして当時の話を聞きたいと願い出た。
しかしわたしの話を聞くまでもなく総務課の担当者に丁重に断られてしまった。

「畏れ入りますが、本件につきましては、弊社として取材等は一切お受け致しかねますので、よろしくご理解のほど、お願い申し上げます」

 1週間後には、株式会社増進会ホールディングスの経営管理部より、このような丁寧なメールも届いた。

 その理由は示されず、よほど不祥事を起こした事件の傷が大きかったのだろうと考えられた。あるいは、自社にマイナスな話には応じないという決まりがあるのかもしれなかった。

 もし、Z会の協力が得られ、小切手を回収したときの状況が少しでも明らかになれば、そこからアサクラに関連する何らかの情報が得られるかもしれないというわたしの望みは、ここで潰えた。

 もし、Z会事件で主犯のアサクラが、6200万円の現金と6億円もの小切手を持って逃亡したというニュースが流れたら、アサクラは逮捕され、その正体が明るみにされたかもしれない。もし、イリーガルの毒物ビジネスを調べれば、そういう取引を解明できたかもしれない。もし、アフラトキシンが本物であったならば……。

「もし」という仮定に何も意味はない、と断言できるだろうか?

(16につづく)


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1 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」 序章
奇病・ターキーXとアフラトキシン

https://note.com/safe_eel5766/n/n60490b72a68e

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