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12 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」   犯行計画を立てる〜

犯行計画を立てる

 ここで一旦、裁判資料と照らし合わせておこう。
【竹中※は、平成16年(2004年)ごろに宮川※が引き起こした女性とのトラブルの事後処理に関与したことで宮川と知り合っていたが、宮川であれば振込先の口座や振込役の女性を用意できるものと考え、同17年7月中旬ごろ、宮川に本件犯行を持ちかけた。これに対し、宮川は、ギャンブルや女性との遊興費等に窮しており、報酬欲しさにこれを了解したことから、竹中は、加藤と称する者に対し、宮川が了解した旨連絡した】(冒頭陳述要旨より)※=筆者が仮名に修正

 のちの竹中の話と裁判での竹中の陳述には大きな食い違いは見られない。実際に、出し子の女は実行犯の宮川が手配しており、竹中やアサクラと女は面識がなかった。
 犯行数日前、渋谷で、アサクラと竹中と吉永の3人は、打ち合わせと称して密会している。竹中は、アサクラを「凶暴な小男」とする一方で、吉永を「小心者の大男」と書き残している。

 吉永は妻との関係に悩んでいた。その話を、吉永が店の女に話しているのを横から聞いて竹中は吉永にからんだ。
「アンタまだ若いんだし東大卒という高学歴だ。背も高くて男前じゃないか。いっそ、いまのカミさんと別れて新しい女を探したらどうなんだ」
すると吉永は、また真っ赤な顔をしてそれを否定してみせた。吉永は、東大法学部を卒業したのち飛島建設を経てZ会の関連会社に転職したという人物である。竹中はそんなエリートのプライドを傷つけたために吉永は怒ったのだと解釈した。

 イリーガルで非合法探偵社のトップに立ち、指南役として指示を出す立場にあった竹中にとって、吉永など取るに足らない輩であって、「さっさと通帳と印鑑を盗んでくればいいのに、土壇場になって怖気づいている臆病者にしか映っていなかった」のだという。どこまでも竹中という男は上から目線なのである。

 この3人の会談日の夜には後日談がある、吉永は渋谷区内のカプセルホテルに宿泊したが、のちの取り調べで吉永は「会社に泊まった」と供述。だが警察はすでにカプセルホテルの領収書を押収しており吉永のウソがバレた。竹中は逮捕後に刑事からそう聞かされたという。

 この渋谷での密会で次のことが決まった。犯行は1週間後に行う。現金の払い戻しは1億円のみ。残りの6億5千万円は小切手にする。これらもアサクラが決め竹中と吉永は異論をはさまなかった。

 現金の1億円からは、運搬役である実行犯の宮川が1000万円、竹中が2800万円、アサクラが6200万円を受け取るなど、それぞれの取り分も決まった。一方、Z会の吉永は残りの1億5千万円分の小切手を受け取って現金化することになった。

 なぜ、吉永は現金ではなく換金に難のつきまとう小切手を貰うことになったのかは、竹中もよく分からず今もって不明である。

 吉永は、通帳、銀行印、払い戻し伝票、送金伝票などを会社から持ち出し、それを東京都千代田区神田淡路町の公衆電話ボックスに隠す。竹中は、電話ボックスからそれらを回収し運搬役の宮川に渡す。宮川はZ会の職員を装った出し子の女に通帳と印鑑を渡し、車に乗せて千代田区神田小川町のUFJ銀行神田支店に連れて行く。出し子の女はUFJ銀行で金を払い戻し、さらに送金伝票を使って宮川の用意する銀行口座に振り込む。宮川は口座に振り込まれた1億円を下ろしアサクラの部下に渡す。アサクラの部下は金をイリーガルの事務所に持ってくる。そのような段取りが決定した。
(ただし宮川の用意する銀行口座内容については吉永には知らされていなかった)

 竹中がのちに宮川のミスだと感じたことはいくつもある。
その最大のものは、宮川が用意した福島にある建設会社の銀行口座を1億円の受取口座にすることが決まっていたものの、土壇場になって宮川は、銀行印が見つからないと言い出した。しかたなく休眠会社を買うことも検討したが、アサクラが「そこから足がつく」と反対した。実際に休眠会社を買うには時間がなさすぎたと思われる。結局、宮川名義の千葉の東京東信用金庫の口座を使うことになった。

 2006年7月24日、大宮市のうなぎ屋で、竹中は、決定事項を「指示書」にして運搬役の宮川に渡して内容を把握させた。

「何のミスもなければ達成できるはず」
 竹中はそう考えた。

 竹中は宮川に、事前に信金に電話をするように指示。宮川は、「7億5千万円の入金がある」と信金に連絡した。この事前のリサーチにより、この信金が当日に用意できる現金は1億円までだとわかって、前述のような計画になったという。

 宮川は、信金に電話をかけ「7億5千万円の預金のうち、1億円は現金で用意し、残りの6億5千万円は、5億円と1億円と5千万円の小切手にしてほしい」と連絡した。

 吉永は、自分の取り分は小切手で受け取ることに了承した。

 ここで竹中は考えた。アサクラはすぐに5億円の小切手を現金化できるだろう。だがどうやってもずぶの素人の吉永には、1億5千万円もの小切手を現金化することはできない。現金化に困れば自分に頼ってくる。そうすると手数料を吹っかけてやれば二重においしいと。

 弁論要旨でも、7億5千万円のうち現金化されたのは1億円で、残りの6億5千万は小切手にしたとある。そして、その6億5千万円の小切手のうち、「アサクラは5億円分を受け取り、吉永は1億5千万円の小切手を受け取る計画だった」と記述されているから、ここは竹中の話と符合する。

 わたしの疑問は、吉永はなぜ、自分の取り分を現金ではなく小切手にすることで納得したのか、ということだった。
 考え得るのは、アサクラが吉永に対して「わたしが小切手を、裏ルートですぐに現金化してあげます。そうすれば数千万円の現金よりいいですよ」などと言って説得したような場合である。
「自分の知らないところで、アサクラと吉永の2人が、何か密約したんじゃないすかね」
竹中も、そこにアサクラの関与があったのではないかと推測していた。いくら手堅い小切手だったとしても、換金できなければただの紙である。その一方で現金はその心配がない。だからこそ犯罪者たちは盗んだ現金を隠すのである。

 現金は1億円しかないなかで、アサクラが6200万円を手にするためには、吉永の取り分を小切手にする必要があったのかもしれない。

 小切手を竹中が吉永に郵送するための封筒は、吉永自身が用意した。封筒にはNTTのロゴが入っており、その宛先は私設の私書箱だった。
 犯行前日、竹中は、通帳等の受け渡し場所になる東京都千代田区神田淡路町の電話ボックス近くに待機した。吉永は、計画どおり電話ボックス内の電話帳に通帳をはさんで立ち去っていった。竹中はそれを回収し大宮駅に向かった。手はずどおりである。万一、実行犯である出し子や運搬役が捕まっても、自分には当局の手が伸びないように、あえてそうしたのだという。

 髪を短く切って変装した出し子役の女と運搬役の宮川が会ったら、東口の店に案内するように竹中は指示した。一方、竹中はアリバイ作りのためにわざと遠回りをしてから宮川に通帳類を渡した。竹中は女とラブホテルで一泊し、翌朝、犯行当日は、8時に起床し10時には池袋の事務所に戻った。
宮川から竹中に最初のメールが来た。

「到着しました。これから銀行に入ります。緊張してます」
アサクラも事務所にやってきた。
「どうですか。順調にいってますか」とのん気なことを言う。

 2005年7月28日の午前11時28分、運搬役の宮川は、眼帯にマスクをして白手袋をした怪しい姿の出し子役の女とともにUFJ銀行の神田支店を訪れた。そして窓口で振込依頼書と通帳を提出し、7億5千万円を宮川名義の信金の口座に振り込む依頼をしようとした。ここでハプニングが起きた。
「すみません。Z会の社長の名前が読めません」
 宮川から竹中に携帯でメールが送られてきた。

 通常、振込依頼書には口座名義人の欄がありその上には必ずフリガナを記入するスペースがある。宮川からのメールによれば、近松清行(ちかまつ・きよゆき)の漢字が読めないことが問題なようである。

 竹中は、こんな簡単な漢字も読めないのかバカやろうめ、とイライラしたが怒っていても仕方がない。すぐに読み方を返信した。

 このZ会職員を装った出し子の女が、小川町のUFJ銀行の窓口を訪ねたシーンは、後述するように異様な雰囲気に包まれた緊張するものだったはずだが、アサクラも竹中もその現場にはいない。それを知っているのは、運搬役の宮川、銀行員ら、そして事件発覚後に監視カメラの録画を観たであろう捜査員やZ会の関係者だ。竹中も、女の素顔を知ったのは、逮捕後の裁判所でのことだった。

 報告を待つ間、竹中はこの仕事はいけるだろうと思った。一方、アサクラはダメだろうと思っていたという。

 3度目のメールがきた。
「いま送金が済みました。大急ぎで千葉の信金に向かいます」
Z会の預金があるUFJ銀行の神田支店から千葉の東京東信用金庫に金を移動し、その信金に車で行って、通帳と印鑑で、1億円を現金で引き出すという計画である。

 午後2時が過ぎた。メールを送信した。
「経過を知らせろ。昨日伝えたように失敗は許されない。命懸けでやってくれ」
 宮川から、今度は電話が入った。
「すみません。銀行印を会社に置いてあるトラックの中に忘れてしまいました。大至急会社に向かいます。何とか間に合わせます」
この大切なときに銀行印を忘れる。竹中はかんしゃくを起こしそうになった。
 宮川は、一旦、会社に銀行印を取りに帰り、それから信金に向かった。いまから信金に入るという宮川からの電話を受けて、早速、アサクラが車で部下を銀行に走らせた。信金に入った宮川は支店長室に案内された。支店長と行員とともに、用意したスポーツバッグに現金1億円と小切手を慣れない手つきでせっせと詰めた。

 宮川は信金から出たのちに、1億円のなかから自分の報酬の1000万円を抜き、残りをアサクラの部下に渡して消える手はずとなっている。
 初めて見る銀行での1億円に、宮川は緊張と興奮を抑えられなかった。
「す、す、すごい量の札束でほんと大変でした。打ち合わせどおり相続財産だと言ってあります。でも決して疑われている様子はありません。では1000万円頂いて帰ります」
 宮川はそう携帯電話で竹中に報告し、アサクラの部下に残りの現金9千万円と6億5千万円分の小切手を渡して立ち去った。

 アサクラの部下から竹中に、「金と小切手を受け取ってタクシーに乗った」という報告が入った。
「宮川のミスは、もう一つあった」と竹中は回想する。
宮川は目立つ痛車(イタシャ・車体に漫画やアニメなどの絵を描いた目立つ車)をUFJ銀行に横付けしており、それがUFJの監視カメラに映っていた(と逮捕後に織田という刑事に聞かされた)からだった。

 竹中とアサクラは、ビールと寿司で成功を祝った。至福の時間である。Z会から奪った金が届くと、竹中は100万ずつテーブルの上に積んで眺めた。竹中は興奮しながら現金の写真をスマホで撮影した。
「明日またお祝いしましょう。わたしはこれから大学の研究室の一角に設けた隠し場所に金を隠してきます」
 アサクラは、早々に取り分の6200万円をバッグに詰めて持ち帰った。
そのときのことを、竹中はこう書き残している。

【吉永から奪取した金を金庫から取り出した。400人の諭吉が待っていた。3200人の諭吉が俺のところに来た。たっぷり可愛がってやる。朝倉は6200人の諭吉をバックに詰めた。やはり、画像を取り込むことは忘れていない。人間、魅力的な秘密を持っていると白状せざるを得なくなる。言いたくて仕方がないのだ。俺も随分売女どもに見せ付けてやった】

 つまり現金は、吉永が持って来た400万円と自分の取り分2800万円の、計3200万円あった。
 竹中は、すぐに現金3200万円を元妻のところに持ち込んだ。元妻に20万円を小遣いとして渡し、段ボールに残りの現金を入れた。そして元妻を連れて、元妻の契約していた小田急線の架線下にあるレンタル倉庫に隠しに行った。この金のことを、竹中は「I資金」と名づけた。「I」はイリーガルの頭文字である。

 翌日は携帯電話や衣服などの証拠を隠滅し、約束どおり、吉永に小切手を発送したあと池袋の事務所に向かった。事務所でアサクラと合流して劇場通りでタクシーを止め2人で銀座に向かう。アサクラの案内する店に行ったが、「女の子が可愛くないなあ」という理由で新橋寄りの店に移動してそこで飲む。ここでワインとシャンパンを空けて50万円ほど使った。

 この7億5千万円の事件を起こしたあとも、いくつもの仕事をしていた。しかし宮川がもしパクられたら、すぐに自分のことを供述するだろう。アサクラとは月に2、3回しか会っていなかったが、会ったときに、そのことを話した。

「もう、いっそ宮川を殺っちゃいましょうか」
 この男にも毒を盛れば完全犯罪なのだとアサクラに告げた。
「いやー、仲間を殺ったらね、それこそ組織が持たないよ」
 アサクラは、さらりと竹中の提案をかわした。

 ここまでが7億5千万円の事件に関する一部の「再現」である。
 わたしは、主要な疑問に関しては、当事者に会って確認することにした。

「再現5」 自殺したいと騒ぐ依頼人

 次に紹介するのは、あまりに依頼者が奇異な女で、竹中が手こずったという逸話である。

「あのう……。今日、会ってもらえますか。面談は無料ですか」
ある夏の朝、息づかいの荒い女の声で電話がかかってきた。
声のトーンから、「こいつはカモだ。金を払う気も満々だ」と竹中は喜んだ。その日のうちに、イリーガルにやって来たその電話の主は、100キロは下らない大きな体の持ち主で、走ってきたのか、滝のような汗をかいていた。そしてすぐに話し始めた。

「わたし、自宅で両親の介護をして、ストレス抱えて生活していたのですが、紹介されたホストクラブで、しつこく誘惑されたのでホストの誘いに乗ってしまい肉体関係を持ってしまったのです。その後、性器に異常を感じたので医師に診察してもらったのですが性病に感染していることがわかったのです。ホストは電話を着信拒否していますし、店にも不在だといわれ入店を拒否されています。このホストをやっつけてほしいんです」

 飽き飽きするほどのいつものパターンだった。しかもこの依頼人の場合は、話の流れがおかしい。そう感じた。
「私、実はある代議士の愛人をずっと続けていました。その時に貰っていたお手当てをけっこう貯め込んでいます。それをすべて払います。半金で500万円、残りは終わってからでいいですか?」
 妄想があふれ出ているようだと竹中は思った。

 調査を受注して契約を済ませた。その翌日、郵便局にアサクラと同行して定期預金を解約させ、手付金の500万円を受け取った。相手はホストである。クラブは何かと金がかかる。安請けあいはできない。

両親の殺害を依頼

 3度目に来社した女は、突然、過激なことを言い出した。
「わたしの両親を消してほしいのです。介護に疲れました。そのあとにわたしは自殺したいんです。手伝ってください」
 金を払えば、この依頼人はすぐに人も殺してくれると思っている。この女こそ親を殺して保険金を取り、ホストクラブでの豪遊を考えているのかもしれないなどと竹中は考えた。
 とりあえず、この日は、追加のオーダー内容は無理だと伝えて、なんとかなだめて帰らせた。
 あまりにこの女の話がおかしいので、ホスト自身の身辺調査だけでなく、この女のホストクラブにおける身辺調査も必要だと思われた。

 竹中は、何日間もかけて調査を進め、このホストクラブには、竹中の忠実な部下であるサヤカ(イリーガル工作員)に、十分な金を与えて潜り込ませて調査させた。サヤカは店員や常連客、そしてホストからも直接、さまざまな話を聞き取りそれらを録音した。

 それらの徹した調査の結果、マルタイであるホストに対しての悪いウワサはなかったが、依頼人の女に対しては悪い話しかなかった。そして、この依頼人の女の言うことのほとんどが虚偽だと判明した。

 女はホストクラブ店で自殺すると言って何度も大暴れしていた。また、ホストと体の関係があるとのウソを言いふらし、ネットで拡散した。店の前に生ゴミをばらまいた。ホストに時計をプレゼントすると言って時計をはずさせて盗んだ。店やホストに執拗に電話をかけて業務を妨害した。そういうことがわかってきた。
 この女の依頼人はハードな「ストーカー」だと思われた。
 これが本当ならば完全に依頼人側の契約違反だ。ホストに復讐する根拠はなく、一方で、依頼人の問題が多すぎた。

 竹中はまず、サヤカを呼んで、依頼人の女を徹底して糾弾するために、調査結果や音声を「女がもっとも不利になるよう改竄しろ」との指示を出した。その結果、女に対しての悪いウワサのみを抽出したパーフェクトな資料が完成した。

 その上で、「ホストについて、いろいろわかった」と言って女を呼び出した。
 女は喜んで事務所に駆けつけた。
 竹中は、多数の調査結果を示し、女がイリーガルに対して虚偽の話をしたことを問いつめた。

 サヤカも、女に向かって言った。
「たまたま、あなたの騒ぎを知っている常連さんがいらっしゃいました。あなたの行いはそれはそれは、ひどかったと。お店の営業がストップしたとか。店の前にばらまかれていた生ゴミもみな、あなたのしわざだというウワサになってます。店としては、本気で告訴も検討したようです」

 女はまた泣き出した。
 竹中は、今回は、依頼人の裏切りなので手付け金は返金しないことを女に伝え、録音したホストの肉声も再生してみせた。
「お金を取ったのだから仕事はしてください。私は真剣に彼のことを愛したのよ。なぜそれが伝わらないの」
「そんなこと知らないよ。この仕事は終わり。約束の情報はすべて提供する。この音源も渡す」

 女は納得しない。こうなると痴話げんかと同じで、互いが感情をぶつけ合い、収拾がつかなくなった。

依頼人に対する自殺幇助

 このタイミングでアサクラがイリーガルに到着した。話は事前に伝えてあったので高速道路を飛ばしてきたのだという。
 この騒ぎのなかでも、アサクラは、レジオネラ菌やカビ菌を冷やしてある冷蔵庫の扉を開けて勝手にビールを出してきてグラスに注ぎ飲んでいる。なんという図太い男だろう。

「どんなお話になっているのですか」とアサクラが説明を求める。
 竹中から状況聞いたのちに、アサクラは女に向かって言った。
「うちの代表の言うとおりこの契約は無効です。返金を求められるならば訴えてもらってもかまいません」
「待ってください。たしかに、そういうことはありました。でも何でもやってくれるのがイリーガルじゃないんですか」
 やはり女はウソをついていた。
「お前がこんな状況をつくったんだろ。それにな……」
「まあまあ、代表」と、ここでアサクラが割って入り、特有の、ぞっとする眼で女を睨みつけた。
「じゃあ、私はどうしたらいいの。もう自殺したい。ほんとに自殺させてください。自殺、自殺、自殺、自殺、自殺……」
アサクラは、「わかりました。では、あなたのお手伝いしましょう」と言って電話をかけはじめた。
「おい、私だ。すぐ研究室からインスリンを持って来い。3アンプル。そう。では待っている」
 電話に出たのはアサクラの部下なのだろう。
20分ぐらいして、部下が来たらしくアサクラは下に降り、5分ほどして戻って来た。手にはビニール袋を下げていた。アサクラは、女に優しく話し始めた。

 「これがインスリンです。ぜんぶ注射すると急激に血糖値が下がります。意識が薄れていき昏睡状態になります。かなり穏やかに眠れます。そして、もう二度と目が覚めることはありません。皮下注射ですので、お尻やお腹の皮膚と脂肪の層に注射してくださいね。代表、ほら、彼女に注射器セットを差し上げて」

 竹中は、使い捨ての注射器やスポイト2セットを持って来た。
アサクラの説明を聞いて、女は冷静さを取り戻し、その「自殺セット」を受け取ってバッグにしまった。
「お世話になりました」
 いままでの騒動がなかったかのように、女は帰っていった。

法廷での証言

 ところが、この女とのトラブルはこれで終わらなかった。
のちの竹中の起こした「Z会事件」の裁判で、この依頼人の女に発行した領収書がイリーガルの収益を示す証拠として出されていたからだった。調査費500万円の領収書だったが、検察側が、その領収書の背景を問いただせば、インスリンを渡したことが問題となるかと肝を冷やした。

 しかし弁護側には、ホストクラブに潜り込み調査したサヤカが情状証人として出廷しており、実際に自殺したわけでもなく、この女にインスリンを渡したことは、うやむやになったのだという。

(13に続く)


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1 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」 序章
奇病・ターキーXとアフラトキシン


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