JR上野駅公園口の感想
2020年全米図書賞の翻訳部門を受賞した柳美里著の『JR上野駅公園口』を読んだ言葉にできない感想をなんとか文字にして記そうと思う。ネタバレを含むのでご注意ください。
まず出だしから不穏である。
また、あの音が聞こえる。あの音ーーー。聞いている。でも、感じているのか、思っているのか、わからない。(中略)いつも、疲れていた。疲れていない時はなかった。人生に追われて生きていた時も、人生から逃れて生きてしまった時もーーー。はっきりと生きることなく、ただ生きていた気がする。でも、終わった。
ホームレスの話としか知らずに読みだしたので、最初は何のことかわからない。勘のいい読み手なら容易だろうが、改行が多くふわっと始まっており、読み流してしまっていたが、読了後また冒頭を読むと何だ、最初から書かれていたのかと思う。主人公は死んでいるのだ。
1933年、平成天皇と同じ年に生まれた主人公はホームレスとして上野公園に住み着いている。福島県相馬郡の貧しい子沢山の家に生まれ、早くから出稼ぎで働き詰め。上野は東京オリンピックの前年に肉体労働の出稼ぎで初めて訪れる。結婚し娘と息子に恵まれるも家族を養うための出稼ぎで子供との思い出もない。そんな主人公の過去とリアルなホームレスの生活の様子、ホームレス仲間から聞いた逸話、上野公園を行き交う普通の人々の会話など様々な時間軸が行ったり来たりしながらエピソードのみ次々と重ねられて話が進んでいく。物語はどこで終着するのか。フワフワしているとも捉えられる。でもどのエピソードも辛いのだ。特に涙を止めることができなかったのが息子を亡くすエピソードのところだ。令和の天皇と同じ日に生まれ、漢字を一字もらって名付けた浩一はレントゲン技師の国家試験に合格した直後、不幸にも21歳の若さで突然亡くなる。アパートで寝たまま亡くなっていたのだ。そこから葬式までの主人公の絶望、悲しみの描写が巧みすぎて読んでいて涙が止まらない。
浩一は、死んだ。明日も、これからも、ずっと死んだままだ。そう思うと、心が震えて、震えが止められなくなり、どうやっても収まりをつけられそうになかった。
大事な人を亡くしたことある人なら痛いほどわかる気持ちの表現だと思った。死んだら死んだままという当たり前のこと、そんな恐ろしい当たり前なんて受け止められないよ。
暗闇の中に一人で立っていた。光は照らすものではない。照らすものを見つけるのだ。そして、自分が光に見つけられることはない。ずっと、暗闇のままだーーー。
主人公の絶望がよく伝わってくる描写が続く。辛い。
そして、お葬式での流れから福島の集落での宗教、先祖の話になっていき、先祖が加賀藩からのいわゆる移民で、福島の「土着様」に「加賀者」と呼ばれて蔑まれていたことが描写されている。もう貧乏の負のスパイラルは先祖から続いていたのだ。その加賀者の宗教は浄土真宗で、真宗では亡くなった人はすぐに仏様になって残された人たちを見守ってくれるというというのを浩一のお葬式で主人公の妻が住職に教えられる。私は仏様に生まれ変わるなんて全然知らなかった。巻末には参考文献の記載もあるし、これは本当のようで、なかなか救われる考え方だなと思った。
息子を亡くした後も働き続けた主人公は定年後、福島に戻って夫婦二人で平穏に暮らすも幸せは長く続かなく、妻が寝てる間に67歳で他界。心配した孫娘が一緒に暮らしてくれたが、妻と息子ともに寝いているときに亡くなった恐怖から寝れなくなり追い詰められた描写がまた辛い。
死が、自分が死ぬことが怖いのではない。いつ終わるかわからない人生を生きていることが怖かった。全身にのしかかるその重みに抗うことも堪えることもできそうになかった。
希望がない人生をただ生きるのが怖いということだと思った。この後置き手紙を残して主人公は上野に向かい、野宿しているうちにホームレスになっていく。この部分を読んだ時はホームレスになる理由としては弱く感じたし、気にかけてくれる孫もいるのになぜ?と思った。でもやはり孫娘を自分に縛り付けておくことが心苦しく、自分なんてと思って自暴自棄になって家を出たということだろう。とにかく生きていたくないのだ。
過去の回想と今がつながり、今、上野公園で「山狩り」と言われるホームレスの追い出しが行われる。この描写もなかなか細かいのだが、天皇陛下が通られるため上野公園から一時的にホームレスは全員立ち退きさせられるのだ。何度も山狩りを経験してきた主人公が今回たまたま天皇皇后両陛下が車で通るところに遭遇する。「政治家や芸能人のように心を隠すような微笑みではなかった。」とお二人を表現している。私も同じようにたまたま遭遇したことがあるが、正に同じように思ったし本当にすごいサービス精神に驚いたことを思い出す。それは今まで見てきたどのアイドルの神ファンサも超えるほどのファンサだった。
主人公はこれがトリガーとなってしまう。圧倒的な光を見たからこそ感じる自分の深い深い暗闇。同じ年に生まれ、お互いの息子は同じ誕生日、それなのにこれほど違う。その後上野駅のホームに向かう描写はあるものの、決定的なことは書かれず、情景が変わり主人公の故郷の風景となり津波に飲み込まれる孫の描写で終わる。そうか・・・仏様になった主人公が真言宗の教えの通り残った者を見守ったのか。それでも孫娘は津波に飲み込まれて亡くなってしまったんだね。本当に救いがなく悲しいけれどそういう人生というものもあるんだろう。それを追体験することが小説の醍醐味なんだろうな。はぁ・・・・。
2年前東京に転勤になって最近行った上野公園はキレイで素敵だったしホームレスも見かけなかった。作者の緻密な取材の小説だから、これを読まなかったら知らないことだらけだったなと思う。ホームレス仲間のシゲさんが西郷隆盛や彰義隊の話をしてた描写も細かったけど、上野公園はホームレスだけじゃなくて辛い思いをした人が集まってるってことなのかな。それにしてもこれほどまでに日本的な小説を海外で出版して受け入れられるって読んでみて改めてすごいなと思った。USアマゾンのレビューとか読んでみたけど、全然遜色ない感想だったし、伝わる人には伝わっている。やっぱり翻訳がよかったってことと人間の真理や貧困については世界共通で共感を呼ぶということかもしれない。生きるのに苦しいというのは誰もが感じたことある感情だろうな。それは例え恵まれているように見える人であっても・・・。よい小説でした。あまり上手く言葉にできなかったけど、感情が揺さぶられる小説でした。