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「認知症のリアルさ 01」毎日ショートエッセー:古い羅針盤134章

何時か来る道。前3ブログではがんについて、大いに論じてきた。それだけ身近な病気である。しかし、昨今は更なる病気が世間の話題となっている。認知症だ。以前は痴ほう症と若干揶揄された病名だったが、少子高齢化社会では必然の病として、世間に認知されるようになった。しかし、実際の現場は意外にレポートされていない。臭い物に蓋をする。そんな世間の風潮があるのだろうか。あるいは、がんに比べて、認知症が期限に見えない、あるいは、人間としての尊威を保てない病気だからだろうか。いずれにしても、私も両者の予備軍である。がんに関しては、ポリープが出来た胆のう摘出を経験しているし、日々物忘れが激しいのも、認知症と紙一重であるからだ。決して他人事ではないのだ。この両者は比較すると、がんの方がマシだという意見が多い。それは告知されれば終わりは見えるし、それまでに終活を済ませることが出来る。一方、認知症の場合は、周囲が面倒見切れなくなり、施設に収容されることが実に多いからだ。がんも同じように、みとり病院へと転送されるケースも多いが、それでも自分の意思で決める事は可能だ。その理由はがん経験者、あるいはその関係者がしっかりとその過程をレポートしているからではなかろうか。後世に残された私たちはそれを読み、我が身として振り返り、行動に反映させることが可能だ。が、一方、認知症は元々レポートが少ない。本人は既に、レポートする能力を失っているから、周囲の者がそれを記録として残す必要があるが、それはかなり過酷である。そんな余裕さえ生まないのが、介護の現場であろうと思う。「気が付けば認知症介護の沼にいた」:畑江ちかこ氏を読んでいる。

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