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日本人の9割は、苦痛依存症


人生、いろんなことがあるけれど

ふさぎ込まず、苦痛なく、

いつもニュートラル(ゼロ)な心で在れたなら?



すごく幸せだなぁと思いません?




でもね、ニュートラル(ゼロ)ってだけだと

それはつまり

ぶっちぎりで苦痛もなければ

ぶっちぎりで楽しいこともない人生です。



経験はありませんか?

部活や勉強は大変だけど

その大変さがあるから、休みが嬉しかったり。




週5の勤務が大変だから

週末のビールが美味しかったり。



前者は、出来れば経験したくないこと。

後者は、ずっと経験していたいこと。


後者"だけ"が幸せ?


一見、そう見えます。


でも、私たちは、本当は知っているはずなんです。



前者がなけりゃ、後者も、無いことを。





毎日、本当にやるべきことがなく、

スケジュール帳が真っ白だったら?


どうやって、人生楽しみましょうね?



味わい深い人生には、実は

プラスとマイナスの両方の要素が必須です。



"えーーーと。

楽しいを味わうために、苦痛は必要なの?

人生から苦痛は、無くならないの?"



いえっ!


わかりやすく、マイナスと表現しましたが

マイナスは、人生にとって悪いこと

という意味ではありません。


マイナスとプラス、つまり真逆の要素が必要

ということを伝えたいだけです。



ただ、私もそうですが、ほとんどの方は


週5の勤務がイヤな時間だと定義していることで

その真逆にあたる

勤務時間外が幸せだと定義して

幸せを感じています。

苦痛ありきで、一瞬の幸せを生み出しています。


家事がイヤな時間だと定義していると

その真逆にあたる

家事をしない時間が幸せだと定義して

幸せを感じています。

苦痛ありきで、一瞬の幸せを生み出しています。




私たちは、ついつい

幸せを感じるために、苦痛を作っている。




苦痛依存症です。




がーーん。




先日、エッグマフィンを頼んだら
中身がソーセージマフィンだった。


 


ささ、私の話で例えますが



10年前の一人暮らしのころ

勤務時間も、家事の時間も

大変だなぁ〜。イヤだなぁ〜。

と、定義していました。


だから、その真逆の時間は幸せでした。
 

お酒を飲みたーい。幸せ!

家事を放棄。幸せ!
 

その理由も、親との関係の中で
培ってきたもので、理由も明確なのですが。
話が複雑になるので、今日は割愛します。


人間は、生きてる限り、最初からゼロは無理です。


ほとんどの場合、

このわたしのように安直に

苦痛な時間を、その反対の

幸せっぽいことをして誤魔化すことで

ゼロを目指します。

まずは、

苦痛に依存しないと決める。

 
苦痛を生み出してることを自覚して

決別することが1歩目!



美味しいビールという"幸せ"を味わうために

平日、自ら疲弊しに行っていることに

気づくところからです。



ゴロゴロコーヒーを飲みながら

ネットサーフィンという時間に

幸せを味わうために

家事なんてやってられるか!怒

という感情を、自ら作らないと決める。



ひとり時間ってサイコー!と

感じるために

他者やコミュニケーションを悪者にしない!

っていうことです。



大丈夫です!

苦痛に依存しなくても、ハッピーは作れます。

本当です。




例えば、5.6年前

家事をやることがイヤだった私でしたが

家を建てることになりました。


なおかつ、その頃は仕事もパートでしたので

余裕もあった。

子どももいずれ欲しいと思っていたため

環境もあいまって、なかば強制的に

家事に向き合うことになりました。



家事を全くやらない人間が

家づくりから、出来る限りのエネルギーをかけて

家事に向き合いました。



整理収納、家事動線、インテリア

だけでなく

日々の掃除、洗濯、料理🍳

それはそれで、楽しかったです。
 

そのうち、妊娠出産となりました。

収入もありませんでしたが


ポイ活をしたり、1記事300円で内職したり。

その収入で、ちょこちょこ収納を揃えたり

コーヒーメーカーを買ったり。

さらに友人に振る舞うために、

おうちカフェごっこのために

メニューまで作ってみたりwwww

 

苦痛と定義していた家事が

苦痛な時間ではなくなっていました。

すると、どうなったでしょう?
 

同時に、

ゴロゴロネットサーフィンする時間

何かを埋めるようにNetflixに浸る時間が幸せ

という定義が、まるっきりなくなっていました。


時を同じくして

妊娠出産で仕事もしていなかったので

"仕事が苦痛な時間である"

という定義も、なくなっていました。

すると、

"仕事終わりのビールが美味しい"

という定義もなくなっており

禁酒期間が終わっても

頻繁にお酒を飲むことも、なくなっていました。



これはつまり、

自分の幸せのいくつかを、苦痛に依存しなくなった

ということです。



"確かに良さそうだけど、幸せ減ったんじゃ?"


気持ちはわかります。

でも、とても不思議なのですが、

そんなことはなくて。


人間って、もっと高い次元での幸せを

探求するようになっています。



かの有名な世界的大ベストセラー

"嫌われる勇気"を愚直に実践するのが好きなのですが


アドラー心理学によると

人が探求できる、レベルの高い幸せとは

"共同体感覚"とのことです。


自己受容の先に、他者貢献があって

その先に、共同体意識を広げていく。


まぁ、簡単にいうと

みんな、仲間!の感覚を

どこまで広げられるか?

あなたの笑顔はわたしの笑顔

そう思える範囲が

広ければ広いほど、次元の高い幸せだということです。

(単純に、幸せな回数多そうでしょ?) 


つまり

苦痛依存症を自覚して

そのルーティンから抜け出すと決めなければ

もっと質のいい幸せを

探す気にはならないわけです。

苦痛を手放す必要性って

実は、ないからです。


いかがですか?

苦痛依存症ではありませんか。



 
家事を、やらねばならない。

子育ては、こうあるべきだ。

週5は、頑張らなければならない。



"こうあるべき"という感情は

人間誰しも、物心ついたころから

頭に植え付けられています。



やっかいなのは、

思い込みというのは、100人100通りなのに

全人類"そうである"と、思い込んでいます。

(それを軸と表現してきました)



中国の方は、列を並ばず割り込む

と聞いた時

人間性をつい疑いそうになりませんか?



日本の当たり前は

世界の当たり前とは限らないのに

人類は、遺伝子レベルでみんな列に並ぶものだと

思い込んでるからです。



こうあるべき!

という理想はとても素晴らしいですが

ここで課題だなと思うのは


こうあるべき!という理想があることを

人間はほとんどの場合、無自覚ということ。


人は、自分の当たり前の価値観には

意図して向き合わないと、気づきません。



仕事は苦痛で当たり前。

結婚は墓場。

子育ては辛くて当たり前。

家事はイヤイヤやるもの。


べき、ねば、が多いのに、

それに無自覚で、そういうもんだと思って

なんとなく行動していると?


人生には、苦痛が多くあるように見えます。



その苦痛に、つい私たちは依存し、安直に

一瞬の快楽を楽しみにして、

人生を送りがちなんだなぁ。

って、思うのです。



景気が悪いと、

度数の強いロング缶のお酒が売れるそうですよ。



さて、まとめです!


心に波の立たない、ゼロの状態というのは

素晴らしい状態ではあるものの。

最初からゼロであれば

人生は何も面白くなく、味気がない。


人間、生きていると不可能。



プラス100とマイナス100の

両方を兼ね備えて、

2つを足してゼロを知る。

同じゼロでも、味わい深いものになる。

距離にして200の幅がありつつ

その、どセンターとしてゼロを知る。



あなたがもし、ゼロを苦痛依存によって

達成しているとしたら?


幸せになりたくても、すぐに苦痛に戻りますよね。



苦痛依存症から抜け出して、

ゼロを探求して

自分の心が安定していけば?


人は、機嫌が良くなります。


自分や他者のために、なにかを新たに

チャレンジする余裕があります。




50について悩む、他者に

自分の経験を持って、具体的に

貢献することもできます。



つまり

ゼロ(中庸)にいることができれば


自分のやるべきこと(使命)を果たし始めて

生きがいを感じながら、人生を送れます。


苦痛依存症を克服したい方は

とても地味ですが


白紙のノートという"ツール"を通して

自分に向き合うこと

私はすごくおすすめしたいです。



わたしは、チームで仕事をしていますが

仲間の、さっちんが

真っ白なノートを使いこなして

人生を幸せにするやり方を教えてくれています。




白紙、です。



このnoteにも最初に書きましたが

"スケジュール帳が

真っ白だったら、どうしますか?"




苦痛依存症の方というのは、

幸せのために苦痛を伴うタスクから

逃れられないと、思い込んでいます。


やるべきだと "思い込んでいること"

苦痛だと "思い込んでいること"


これに気づくことが、一歩めです。


 

それが、家事だとしたら?


家事の中でも、一体何が苦痛でしょうか。


仕事だとしたら、

仕事の中でも、一体何が苦痛でしょうか。



苦痛依存してることに気付いたならば

その家事をやめるか?

どセンターの心で家事をやるか?


その2択で向き合います。



私ですか? 今となっては


家の掃除が出来るって

金銭的にも、めちゃくちゃ恵まれてるやん!


という意識で家事に向き合っています。


だって、ホントにお金に困っていたら


家の掃除する時間あったら

バイトを掛け持ちしたり、内職して、

私だったら稼ぎます。


同じ掃除でも、よその掃除をして

お金をいただきます。   


    

昼間に、エアコンや暖房つけて

水ジャージャー使って

掃除している場合じゃないからです。



もしもあなたが、平日の昼間に

自分の家で家事ができるとしたら?


それは

ご自身の過去の積み上げのおかげなのか?

ご両親のおかげなのか?

国や会社の保証か?

旦那さんのおかげなのか?


その全てか?


わかりませんが、

自由になるお金に大小あれど

この金額でも、本気では困っていない証拠です。



これが、家事に対して苦痛依存せず

ど真ん中の意識であることの一例です。



家事という苦痛が終わってから

快楽モードまでやる必要がなくなるので

心ももともと穏やかだし、時間も余ります。
  



他のことにチャレンジする意欲も湧きます。



あなたも、白紙のノートに向き合いません?



12月まで、継続的に向き合うので

苦痛依存症は、かならず完治します。



現在、60名が参加されていますよ。

申し込みは、こちらから。


さっちんは、この方。



株式会社 second youth 代表
おうち起業の専門家
アイオライトスクール運営 
加藤さえ


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