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イヤなものがあるほど、受験がんばれる説

今日、駅の改札口を通ろうとすると、いつもはいない警備員さんがいた。
警備員さんは看板を持っていて、大学への案内看板だった。
「そうかあ、受験かあ、、」
懐かしくも、思い出すと胸やお腹の奥がキュッと締め付けられる気持ち。
こんな気持ちを味わうのは人生でそうそうないんだろうなと思う。

私が志望大学を決めた理由は3つの"イヤ"から来ている。
偏屈だと今では思うが、振り返って書いてみようと思う。

①中学・高校と同じ環境が”イヤ”

中高を一貫校で過ごさせていただいた私。
今でも必ず母校の文化祭にはいくし、当時の友達とも頻繁に会うし、
卒業校のことはとっても好きなのだが
どうしても好きになれなかったのが「内輪意識」だった。
言葉に表しがたいが、同族意識、とも近いのだろうか。
同じような人とつるみ、内輪で固まる、というような雰囲気はどことなくあった。
そして私の出身高の大半の人が行きたい大学は、OB会が強いと有名な名門・K大学なのだ。

「大学では新しい環境に身を置きたい!いろんな人と出会いたい!!」と強く思った私は、真逆のW大学のオープンキャンパスへ。高校3年生で初めて足を踏み入れるという遅いスタートだったが、

都内とは思えないキャンパスの広さ
生徒数の多さ
いろんなところから日本語以外の言語が聞こえる環境
そして何よりも自由な校風(悪く言えばバンカラ)

に「なんじゃこりゃ!!」と一瞬で惹かれた。
同じような環境から抜け出したい、という思いが勉強を加速させた。

②父親の後輩になるのが"イヤ"

上記に挙げたK大学は、実は私の父親の出身大学だ。
父親との仲は悪くないのだが、父親に「娘も俺と同じ大学なんだ」と
OB面をされる姿を思い描くと、なぜか不愉快だった。(反抗期?)
そのため、「私はあなたの後輩になりたくないので違う大学に行きます」
と言い放ち、父親にOB面をされたくないという一心で勉強に励んだ。
な、なんてやつ、、、

「俺と同じ大学は嫌なんだって」と悲しそうにつぶやき、
小さくなった父親の姿は忘れない。
本当に申し訳ないことをしたと今は反省している。

浪人が"イヤ"

私は浪人が嫌だった。というよりも浪人をさせてもらえない環境だった。
浪人させる余裕はない、と親から最初に言われ、
志望大学へ行けなかったら中学高校と同じ女子大へ行きなさい、と言われていた。「二度目」はない戦いだったのだ。

じゃあどうすれば一発で勝てるのか?と考えるところから私の受験はスタートした。
高校2年生の終わりまでがっつり部活漬けだった私に残された時間は1年。
自慢じゃないが、私は要領が悪い。
そんな私が国公立大学を狙って7科目勉強しようとしたのでは、
負け戦になる未来が見えていた。
としたら短期決戦で3科目。私大一本。これに懸けるしかなかった。
そうと決まったら、
3科目はどんなバランスで勉強するのか、
何をどの期間に行えばよいのか、
そのために講座はどこまで終わらせておけば良いのか。
自分で計画を練って、実行していった。

今思えば私大を受けて良いと言ってもらえる環境がどれだけありがたいことか。働くようになってひしひしと感じている。
そしてあのときは浪人ができないことが大変だと思っていたけれど、
逆にこの1年しかないと期限を決めていたから、戦略を練り、逆算して勉強し、
そして見事に第一志望校に進学することができ、
自分にとってかけがえのない時間を過ごすことができた。

こうなりたい!と思うエネルギーも良いことだけど、
「こうなりたくない!」「あれはイヤ!」というエネルギーも意外に大きくて、むしろそういう感情の方が頑張れたりするのかなー、と思う。

そんな一つの頑張りや成功体験が、今の私を支えてくれているんだ。

#こうして私は受験を乗り越えた #大学受験 #受験生がんばれ

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