主婦脱出大計画〜計画性の無さを含んだ計画性の立て方〜
計画性が微塵も無い人生を送ってきた。もうすぐ私は38歳になるが、自分の人生はいつも行き当たりばったり。実は、それを望んでいて、楽しんでいるのか。それとも、否が応でもそうなってしまうのか。
このnoteには私が現代美術家に復帰していくための【計画】を記し、またそれと同時にトライ&エラーで恥をさらしながらも【実践】していく【プロセス】も記載していきたいと思う。
計画性が欠けている、人生、作品、プロジェクト、日常を送っている私は、果たしてこのままで良いのだろうか。なんとなく良く無い気がする。しかし、計画性が無い中にもメリットがあるとも感じる。ではそのメリットとは、一体何なのか洗いざらい書き出してみて、そのメリットを残したまま、計画性を持てれるようになれば、そんな都合が良いことはないと思う。
計画性がなくて良いことは、まず第一に予想外の出来事が起こり、新しい発見に満ち溢れており、面白いということ。それは大変にもなったりする。
次に、状況に応じてリアルタイムで柔軟に方向性を決めていくことができる。それと同時にそれは多くの労力やエネルギーを割くということ。そして、時にあれもこれもと膨らみすぎて終わりが見えなくなったりもする。
そして最後に、ゴール設定すらゴールする時、またはゴールした後(その瞬間はゴールと思っていなくても)に作り出すことが可能ということだろうか。これは、これは下手すると、そのこと全てにおける質の低下に関わってしまう危うさがある。
要するに、この3つを計画の中に入れ込み進めていけば、計画性がある中にも計画性がない良さをプラスできるということになるのだろう。
新しい発見に満ち溢れており、面白いということ
柔軟に方向性を決めていくことができる
ゴール設定すらゴールする時、またはゴールした後(その瞬間はゴールと思っていなくても)に作り出すことが可能
さて、これを踏まえて計画を立てたいと思う。
子どものお迎えの数時間の計画。一日の計画。一週間の計画。一ヶ月の計画。三ヶ月、半年、一年後の計画。そして、それ以上の現実的な先の年月の計画と、そして私がこの世からいなくなった後まで持続するような計画も。
※トップ画像は計画があるようで無い、自宅兼アーティストファミリーインレジデンスの改修の図面の一部。