【吊るされた男】神々の遊び
我が家の状況、今まさに【吊るされた男】の状態で。
つまり、身動き取れず、にっちもさっちもいかなくて、
ただただこの場にじっとしている、という感じ。
物理的に、です。
私たちは、ニュージーランドに住んでいます。
ここに暮らし始めて6年弱。
去年から、ここでの暮らしに少し、なんというか、飽き始めていまして。
引っ越しをしようとずっと話をしているのですが、
なかなか話を進められないで、さらにいろんな問題が浮上して、
いまだ同じ場所に留まっている、そんな状況なんです。
引っ越し先の場所としては、ニュージーランド内の別の土地、日本、イギリスの3か所で考慮しています。
と、いうのも、私の夫はイギリス人、彼の家族はイギリスに住んでいます。
彼の両親は飛行機移動ができない人で、会いに来ることができません。
なので私たちが帰省しようにも、そんな簡単には、ねえ。
帰省助成金制度とかあれば大いに利用したいですよ。
なので、私たちの娘たちは父方の祖父母に会ったことがありません。
まずは、ニュージーランド内の国際空港に近い場所に引っ越して、航空費浮かしてみよう、ということで考え始めました。
そのために、転職先を考える必要があります。
夫は、コロナで職を失ったことから、絶対に失業の心配がないであろう、政府関係の仕事に転職しました。
絶対に失業の心配がない、と思って。
しかし、先の政権交代で、大幅に公職のリストラが執行され、多くの公務員が職を失ったことで、夫の転職活動も凍結しました。
先に退職せず、夫の職自体は守られたことは不幸中の幸い。
しかし、この計画はあきらめざるを得ませんでした。
それでは日本に移住しよう。ということになりました。
日本のパートナービザは簡単でお金もかかりません。というか、日本の婚姻届けも出しているのでビザ問題はクリアです。
ニュージーランドからより、イギリスへの移動も金銭的にも物理的にも半分。
ただ、夫の就職が、完全に今と関係ない職種になることが懸念点でした。今のキャリアにやりがいも感じているそうで、ただの腰掛の何年かのためにわざわざ日本に行くべきか。
あーでもないこーでもない、と、毎晩議論を重ねているうちに、事件が。
実は夫には前のリレーションシップとの間の娘がいて、
彼女たちがイギリスに移住する事になったのです。
この事実を無視して私たちの移住先は決められません。
当然イギリス移住の話が進みます。
しかしながら、イギリスの移住ビザの壁が非常に厚い。
めんたまひっくりかえるほど膨大なお金がかかります。
お金をかき集めて一回の引っ越しに留めれば、なんとかかんとか、移住できなくもない。
移住先ではしばらくすっからかんでひもじい生活かもしれない。
それでも決行するか?というのが今。
小さなうちの子供たちは、今のこの家が大好きで、学校も楽しくて、引っ越しなんかしたくない、といいます。
イギリスに行っちゃった夫の娘は、思春期に差し掛かり、連絡がむずかしくなってきました。
夫の両親は、ニュージーランドほど平和な国はない、そこに居なさい、といいます。だけど、お年を召してきて、一体孫に会える日はあるだろうか、ともいいます。そんな彼らを思うと心が苦しい。
ほんの数日前、夫がこんなことを言い始めました。
「もし、大いなる存在がいるとして、私たちを見ているとしたら、
それは、”いかにトラブルを起こしてゆく手を阻むかゲーム”でもしているんだろう。それで行く手を一つ一つ阻む度嘆く私たちを見て、腹を抱えて笑っているのだろう。」
私も本当にそのように思わざるを得ないでいます。
私は私で、今のうちに少しでも家計を支えるための稼ぎを生み出そうと頑張っているのです。
仕事を探そうにも、先に述べた公務員リストラの影響か、パートタイムの仕事も皆無の状態。
ビジネスを興そうにも、いろいろトライしましたが芽が出ません。自信と希望を失いかけています。
占いの勉強を必死に進めて、準備をしていますが、気持ちは後ろ向きです。
なんだか、私には少し稼ぐこともできないのか、と思わされます。
私にできることなんてないのかなって。
あっちに向かえばつまずき、
こっちに向かえば壁にぶつかり。
暇を持て余した神々の遊び。の駒にでもされてんのかな。
長くなってしまってますが、
【吊るされた男】のカードの考察は、
これで終わってはいけません。
図像をよく見るとわかるのですが、
この男は、苦しんでいません。
彼は、目的達成のために、あえてこの【吊るされた】状態にいるのです。
アンミカさんも言っていましたね。
逆さになると血流が頭に流れてええねんでえええ。
そういうことみたいです。
まるで、神々に弄ばれているように思える、
にっちもさっちもいかない状態、
これは通過点。
私は、私たち家族は、今こそ、”人生の目的のすり合わせ”をしなければならないのかも知れません。
そして、つまずいても壁にぶつかっても、目的に向かってあきらめずに進むことを、腹を抱えて大笑いする神々に見せつけなければならないのかもしれません。