【8;wands】おん あぼぎゃ が言う事にゃ。
不幸自慢はしたくないのですが、先週末までわりとしんどかったです。
呼吸がうまくできませんでした。吸って吸って吸ってから吸っても吸った気がしなくて、吸ってばっかりいたもんで普段使わない胸筋使ったらしく、左の胸が筋肉痛になって、だからもっと呼吸が下手くそになって、その筋肉痛のせいで横になると胸筋が痛くて夜眠れず、日中元気が出ず・・・みたいな負のループでした。こんなのは一例で、手の震えとか瞼の痙攣とか、マイナー不調がミルフィーユのように重なっていきました。
あぁ、バセドウ病の症状があらわれたんだ、と思って慌てて血液検査に行きましたが、数値は正常だそうで、ドクターから「バセドウ病ではありません。」と一蹴され、「じゃあ、これなに?」と逆に恐ろしい状況に陥りました。
バセドウ病じゃないのにその症状を引き起こすのは、体が私になにか訴えているんだな、と解釈しました。それどころではないのにな。
それで、先週予定していたプチ旅行ではスマホも置いてデジタルデトックス旅行をしました。ほんとうはこの日までに結果を出して、ご褒美旅行にしたかったのですが、頑張り途中の中休み旅行になりました。
雨予報だったのですが、スマホを置いてったおかげで、室内籠りでも充分非日常を味わうことができ、左目の痙攣症状はなくなり、呼吸もいつの間にか上手にできていました。そしてなんだか、このブレイクのおかげで、ちょっと視野の狭くなっていた自分や、また自分を追い詰めていた自分に気づいたりしました。スローダウンも悪くないなと思えたり、最終日に虹でも観れたら・・・なんて思ってたら全日程で虹が見れたりしました。
でも帰ってくるとまた苦しくなってったりしました。
こういう時、『見えない存在からのメッセージ』を信じていると気持ちが楽だな、とか思います。
ガイドだか守護霊だか仏だかアッラーだか。私としてはそれが何かはどうでもいいので便宜上『おん あぼぎゃ』とします。
病気じゃないのに病気の症状が現れ、行き詰まりを感じたとき、とつぜん湧いたようにある言葉が浮かんできたのです。
1年前くらいにはじめてその言葉を知り、その時は気にも留めていなかったのですが、最近になってよく目につき耳にするようになりました。お気に入りのポッドキャストからyoutubeから映画から読む文章からその言葉が飛び込んできて水面に浮かぶ水紋のように私に余波を残すのです。
それで、これはおん あぼぎゃがなんか言ってら、って知るのです。
その言葉は、アーユルヴェーダと言います。みなさん、ご存知でしょうか。最近日本ではよく聞く言葉だったりするのでしょうか。
伝統的な医学の一種のようですが、哲学寄りの考えが特徴の総合的な予防医学の考えらしいです。
アーユルヴェーダを学ぶべき、というのがおん あぼぎゃの言いたいこと、と結論付けたときは、めんどくせえな。 大変そうだな、と思いました。
だけど、入門知識を追ってみると、アーユルヴェーダを取り入れた生活ができると、確かに豊かな人生送れるだろうな、と思うし、なんだったらこれが私の目指したい生活だったりします。忙しく刺激の多い現代生活と、ゆったりして孤立した田舎生活の間を取ったみたいな世界にいる私にとって、今がまさに決断の時なのかも知れません。
少し前に、ちょっと大きな目標を設定したんです。その時、今の私では無理だな、と思っていました。自分が変わらないと、何かを大きく変えないとこの目標は達成できないな、と思っていました。アーユルヴェーダを学んで取り入れることは遠回りのように感じるんですが、一方で、遅かれ早かれアーユルヴェーダに取り込まれる運命にあるんだろうと思うのです。だから、もう、観念して素直に従います。従いますともおん あぼぎゃ。
だってね、おん あぼぎゃって、サンスクリット語から来てるんです。アーユルヴェーダもサンスクリット語。(ダン、ダン、ダーーーーーーーーーーン!!!!!)
めんどくさいし気が乗らないけど、今の私にはできる気がしないけど、できることからちょっとずつ、一歩ずつアーユルヴェーダのある暮らしをしていこうと思います。
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