鈴の音に導かれ、この男は力強く生きたのだ : 或る「小倉日記」伝を読んで
私が20代のころ、この本を原作としたドラマを観たことがある。もう30年ほど前になる。
私はその頃、悩みも多く、鬱屈し、自分の将来はどうなるのかと、漠然とした不安を感じながら、過ごしていた。
私が観たこのドラマのことを、天声人語でも紹介されていたことも覚えている。
そのコラムでは、まずは主役の俳優の自然な演技をほめていた。そこから何の話に続いていったかまでは、私は覚えていない。
確かに、その俳優の演技は、素晴らしく、その時、私はドラマに涙を流したと思う。その時の私は、この主人公を、不遇な、報われない人生を送った男の話として、捉えたたように思う。
ドラマを観た時から、もう25年近く経ったと思う。だから私は、この話をすっかり忘れてしまっていた。
本が好きな我が子から、この話を思い出す
私は鬱屈した20代を過ごし、結局30代も、まぁそんな感じだった。そして今、50歳を過ぎた。
現在、私には小学高学年の子がいる。40過ぎて産んだ、待望の一人っ子だ。
子は、小学校の生活の半分以上を、特別支援学級で過ごしている。
ここで、我が子の苦手なことを、少しあげるなら、聴覚が過敏で、苦手な音があると、衝動的な言動、行動に出てしまう事があり、時には人に迷惑をかけてしまうことがある。また、通常クラスで、一人で授業を受けることは、授業内容を理解することも含め、とても難しい。
我が子は、苦手なことも多いけれど、好きなことも多い子だ。親としては楽しみだ。小さい頃から本に親しんだ事で、本が好きな子に成長した。今は、もっぱら、漫画を読んでいる。(また、YouTubeの誘惑に、流されつつあるが…)
そんな我が子が、本を棚から探す姿を見て、私が「将来、司書の仕事でも…」と思った時、この「或る「小倉日記」伝」の話が、私の頭の中で「あっ」と浮かんだ。記憶の彼方にあった、この話が。
この原作を見つけたのも、我が子のおかげだ。
子の好きな漫画を買いに、古本屋に行った際、見つけた。何か、この本に巡り合わせを感じた。
だが、この本の主人公の、「時代と、置かれている身と、環境」は、我が子のそれとは、また異なる。
この本の感想に限らず、人を、あるカテゴリーの中で一括りにして、考える事、語ることを、私はなるべく避けるようにしている。本当に一人一人違うし、悩みも千差万別、非常にデリケートな話で、私には語る経験も、力量もないからだ。
それでも、この本を何度も読み、今現在、感じたこと、考えたことを、素直に書いてみようと思う。
それは、本をむさぼり読む、我が子の姿から、昔観たドラマの主人公が、ふいに出てきたからでもあるが、今回原作を読んでみて、20代に、ドラマを観た時とは、また違うものを感じたからだ。
それは、ドラマと原作の違いからだけでは無いように思う。
発達特性がある我が子を育てている中で、また私自身も年齢を重ね、ものごとに対しての、私の考え方、捉え方が、少しづつだが、確実に変化してきたからだ。
だから、私にとってこの本は、何か縁があるような気がしたのだ。
前書きも長いが、あらすじもさらに長い。
ダメな感想文だが、これでも、当初より随分短くした。
あらすじ
「でんびんや」の思い出から鴎外の世界へ
ようやく、この本の話をしたい。
主人公の田上耕作という男は、生まれつき、言葉を出すことが難しく、左足に麻痺がある。
一方、学業は優秀であった。
母ふじはそのことを喜び、また耕作自身も、そこに自負を念を抱いていた。世間との疎外感は、今よりも強かっただろう。耕作は孤独を紛らわすよう、文学の世界に入っていく。
耕作には、小さい頃、貧しい老夫婦と、その夫婦と一緒に暮らす女の子と過ごした思い出がある。その女の子は、幼き時の耕作の、唯一の友達であった。
この女の子と暮らしていた、じいさんの職業は、「でんびんや」というものだ。幼い耕作には、どんな職業なのか分からない。
じいさんは、朝早く家を出て、また夜遅くまで、ちりんちりんという鈴の音を鳴らしながら、町を行き来するのであった。
じいさんの鈴の音は、幼き耕作にとっては、唯一遊んだ女の子への、ほのかな思いと共に、感傷の響きとして、心に残った。
耕作が青年期に入ると、江南という文学好きの友達ができた。その青年が森鴎外の『独身』という本を、耕作に見せにきた。その本にでんびんやの記述があった。
てんびん(伝便)とは、郵便で間に合わない場合に、手紙や、時には品物を持ちに走る、使い走りのような、当時の小倉にあった職らしい。
性急な恋において、恋文も急いで渡したい場合もあるだろう。そんな時、この伝便は役立ったようだ。
耕作は鴎外の作品から「伝便」の由来を知る。幼き時に遊んだ女の子と、あのじいさんの鈴の音に懐かしさがよみがえる。
そして、次第に鴎外の文学の世界に傾倒していく。
耕作、本にのめり込む機会に恵まれる
母ふじは、耕作を仕立て屋に弟子入りさせるが、身体の問題と、耕作は職人気質が肌に合わず、早々に仕事を辞める。
その後、大病院を経営する白川という医者と出会う。白川は資産家で文化人だ。
耕作は白川から、新刊書の購入や、車庫に並べることを任される。実際、耕作は、書籍の整理番号をつけ、あとは、その購入した本を読むだけであった。
昔ドラマを観た時、この場面は印象的だった。
ドラマでは、耕作の本の分類の仕方から、本をよく熟知している、賢い男だとわかる場面であった。
何か打ち込むものを見つけた母の喜び
耕作はこの頃、出版された岩波版「鴎外全集」に、鴎外の小倉時代の三年間の日記が散逸している事に注目した。
耕作は、小倉時代の鴎外を知る関係者から、どんな言葉でも「採集」し、資料を集め、散失した「小倉日記」に代わるものを作りたい、その事を、一生、取り組みたいと決意した。
ふじは、子が初めて打ち込めるものを見つけて、大いに喜んだ。我が子が、鴎外の話を、もたつきながら話すのを、うれしそうに聞く、ふじ。
鴎外を求める、果てしない旅
耕作は、鴎外を知る、何人かの人物に会いに行く。鴎外を知る人を訪れるエピソードの中では、鴎外の作品にも登場する、後に住職になる友人の
未亡人を訪ねに行く場面が、切ない。
その住職の未亡人の住まいは、山の中だ。
片足が不自由で、一里以上歩く経験がない彼には普通の人の何倍もの、堪える道のりだ。
片足を引きずりながら、その亡くなった友人宅に着いたが、そこに現れた未亡人の老弟とは、お互いの言葉の理解が難しく、通じない。
疲れ切って、家に帰った耕作を励ますよう、母ふじは、今度は、生活費の半分を充てて、人力車を二台頼み、耕作と共に、再び未亡人の宅を訪れる。母が一緒についてきた際は、1度目の応対と違い、その鴎外の友人の未亡人に話を聞く事ができた。
鴎外を知る人たちから話を聞いた後、耕作は草稿を作る。その草稿を鴎外全集の編集委員の一人に送る。その編集委員から「あなたの研究は意義ある」と返事がある。その返事に人生の希望を感じ、涙ぐむ母と子。
医師の白川の病院で働く看護師とのふれあいも、また哀しさを伴う。
耕作の容姿に構わず、自然に付き合ってくれる看護師てる子。母ふじは、てる子が耕作の嫁になってくれればと、ほのかに願うが、てる子は若さゆえ、無邪気に耕作と会っていただけで、本気ではないと、ふじに伝える。
そのふれあいは、はかないものだとわかると、母子の結びつきは、一層強くなる。耕作はますます鴎外へ、のめり込むのであった。
戦中、戦後の食糧難から、耕作の身体は悪化。
ふじは、ヤミで食糧を買い、彼に食べさせるが、身体の麻痺の症状は酷くなるばかりだった。
耕作が寝たきりになってからも、友人の江南は何度か訪れ、励ます。江南に整理してほしいと思う程、彼の草稿は、風呂敷包一杯になっていた。
昭和25年の暮れ、彼の「小倉日記」は世に出ないまま、耕作は亡くなってしまう。
彼の死後、昭和26年2月、紛失していた本物の「小倉日記」が、東京で見つかった。
発見された事を、耕作は知らず、亡くなった。
この本を何度も読み返して
耕作に対しての私の思いは、20代のそれとは、全く違った
冒頭にも触れたが、20代でこのドラマを観た時、主人公を、不遇な、報わらなかった男と捉えた。
耕作に対しての、世間の見方や、日々の生活は、現在のそれ以上に、非常に辛かったのだろうと、私は察することしか出来ない。
壮絶な人生を想像しながらも、今回原作を何度も読み返した感想は、「不遇な、報われない主人公」ではなかった。
耕作が、鴎外の「小倉日記」を追い求めると決めた時、自分が夢中になれるものを見つけたことを、本人も希望を抱き、また母も、一番に喜んだこと。耕作が母に、夢中になって鴎外について、嬉しそうに話すところ。
全体的に暗さがあるストーリーの中でも、この場面は、この母と子に、また読者にも、温かい、ほのかな光を与えている。
この主人公ように、人生のなかで、何か打ち込めるものを見つける事ができる人は、どれほどいるだろうか。
私にも、何かを見つけたような気がした事はあった。しかし、最後まで成し遂げることもなく、今に至る。(私はただの人生の怠け者だ!)
だから、彼の人生は不遇な、報われなかったとは、今の私は、思わない。
むしろ私には、夢を追って、輝きを放ちながら生きた男として、ただ眩しく写った。
彼の「小倉日記」が世に出ることもなく、賞賛されることもなく、終わったとしても。本物の「小倉日記」が見つかり、彼の創作が意味を成さないものになったとしても。
小倉時代の鴎外を求め続けた過程においては、耕作は、人生を懸命に力強く生きることができたのではないか。小倉時代の鴎外に、深く触れることができたのではないか。その時間は、とても生き生きとしたものではなかったか。今、何も成し遂げていない私には、憧憬の念すら感じる。
鴎外を知る人物に会いに行く際、片足を引きづりながら、歩いた山道。紅葉の彩る山道に、百舌のさえずりが聞こえる。木々の合間から溢れるわずかな光が、耕作にそそぐ。
秋の山道は、新緑の時とはまた違う、美しさがある。その道のりは、耕作の人生そのものを表しているようだ。
「何か」を見つけれなくても。
鴎外の研究を続けながら、耕作は「これが何の意味をなすのか」と人に問われた。また彼自身も、晴れ渡る空の雲を見ながら、自分にそう問うた。
ここも、私には考えさせられるところだ。
私は今現在、何も成し遂げていない。何かを見つけられる人はわずか、成し遂げる人はもっとわずか、成功する人は、ほんの一握りだからだ。
人は、人生に、自分のしていることに、意味があるかどうか、考えてしまう。もちろん、そう考えること、その時間はとても大切だ。
だが、最終的には意味をなさなくても、そこばかり考えなくても、いいのではないかと、私は思いたい。
この感想文を書いている時にも、「この昭和の名作について、私が書いて、何の意味があるのか」と何度も思ったぐらいだ。
(私なりにきちんと読み、あらすじを書いたが、Wikipediaと殆ど変わらない)
意味があろうか、なかろうが、夢中になれるものを見つけた人は、本当に幸せだと思う。我が子にも、何か夢中になるものが見つかれば、いい。それを、もし成し遂げたなら、それはうれしい。賞賛される日が来たら、親として、どんなに誇らしくことだろう。
だが、もし見つからなくても、成し遂げなくても。まずは、我が子の一日が、少しでも、明るく、楽しいものであるように。そんな日が、子の人生の中で、少しでも多くありますようにと、私は願うばかりである。私自身のこれからの人生も、そうあってほしい。
(我が子は、独自のゆるやかな発達段階にいるので、何かを成し遂げる事を、子のこれからを、親が決めつけないでいたい。我が子が、自身で何かをつかみ取ってくれればいい。そのささやかなお手伝いとして、子を育てていきたい。)
確かに鈴の音は聞こえたのだ。
耕作の死の間際、彼は何か耳をたてるような格好をした。母が「どうしたの」と何度か聞くと、「鈴の音が聞こえる」と言った。その時、冬の戸外には、足跡も聞こえなかった。死の直前の幻聴かもしれない。
いや、冬の中、死の瞬間、耕作は確かに鈴の音が聞こえたのだろう。幼き頃に遊んだ女の子の思い出から、鴎外の世界へと導いた、でんびんやの鈴の音が。
恋心を抱くことしか叶わなかった彼には、時に急ぎの恋文を運ぶという、あのでんびんやは、はるか彼方から、耕作に、手紙を渡しに来たのかもしれない。
その手紙は、どんなものだっただろうか。