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大切な人が宇宙に還るとき、

私はとても悲しかった。
辛かった。

言葉では説明できない、表現できない、
ただシンプルで深い悲しみが心に満ちて、
脳を通らずに涙がとめどなくこぼれ落ちるような感覚だった。

しかし心はただすっきりとしていて、
この、人間としてこの地球に生まれたからにはどうしようもなく当たり前な事実を目の前で受け止めながらも、
ただ、悲しい。
ただ、つらい。
その純な気持ちだけが、ただ、存在していた。

そしてもう一つ、
あぁ、私は祖父の孫でいられて、本当に幸せだったんだなぁ
ということが、ただ、純粋な心からのその気持ちだけが、宿っていた。

自分でも驚くほど、“心から”だった。
心からって、こういうことなのか、と自分で理解した体験だった。

いろんな思い出が次々と蘇ってきて、
それらはすべて、
私がとても愛されていたし、
私もとても愛していた、
という
今まではっきりとは言語化したことも気づくこともないぼやけた真実を、
やさしくあたたかく、くっきりとした輪郭のある実感へと変化させてゆく。

こたつの奥の席で指を舐めながら新聞をめくり、
いぐさの枕に横たわっては大きないびきをかいて昼寝をし、
硬めのお煎餅をぼりぼり食べる。

彼のごく平凡な、のどかな日常の一部分を、
隣に座って一緒に過ごすことができていたこと。
ただあの日々そのものが、幸せだったんだなぁ

そんなことを心の奥底からそのまんま理解して、
また涙が止まらなくなる。


私は少し前から、
日々、大切な人に愛と感謝を伝えながら生きていこうという思いで過ごしているけれども、

今回のことを経て、さらにその意思は深まった。

“いつか”は来てしまうことも、
その“いつか”かいつ来るのかわからないことも、
理解した。

一瞬一瞬を大切に味わい、
愛を贈りながら生きる。

そうしていれば、その“いつか”がいつ来ても、
後悔したりせず、真っ直ぐな気持ちで受け止められるのではないかなぁ。

だから自分のためにも、そうやって生きてゆこうと思う。


生きるってなんだろう。

心にぽっかり空いた穴に忽然と浮遊するこの疑問への答えはすぐには見つからないのだけれど、

今の私が考える“生きる”の一つは、ひとまずそういうことなのだと思う。



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