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【枕草子】九月二十日あまりのほど(第二一四段)
九月廿日あまりのほど、長谷に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに、いとくるしくて、ただ寝に寝入りぬ。
夜ふけて、月の窓より洩りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、しろうてうつしなどしたりこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人歌よむかし。
【解釈】
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9月20日過ぎのこと、長谷寺へお参りに出かけて、めっちゃぼろい家に泊まった。歩き疲れていたから、すぐに寝落ちしてぐっすり眠ってしまった。
夜が更けてから、ふと目を覚ました。月の光が窓の隙間から差し込んでいて、人々が寝ている着物の上に、白い光が浮かび上がっている。静寂に包まれた秋の夜のふとした瞬間が、めちゃめちゃ趣深くて何だか泣きそうになった。そんな時にこそ、人は歌を詠むのかも。
NHK大河ドラマ「光る君へ」で、清少納言が登場しています。
個人的には紫式部と清少納言は面識がなかったと思っているのだけれど、ドラマでは親しい友人関係だった設定になっていますね。
最近は清少納言が悪者、というか困った人として描かれていてちょっとかなしい。中宮彰子を前にした歌の会に乗り込んできて「ここは私が歌を詠みたくなるような場ではない」と啖呵をきるシーンなど、少納言ファンとしては何もそんな設定にしなくても…と思ってしまいました。(ドラマそのものは毎週楽しく観ています)
紫式部日記に書かれた清少納言のひどい悪口は、面識がないからこそだと思っていたけれど違うのかな。
定子亡き後に一条天皇の気持ちを彰子に向けるため、なお華やかだった定子サロンの幻影や思い出と戦わなければならなかった紫式部。枕草子という大傑作を書いてしまった清少納言を相当に恨んだであろうことは想像できます。競合他社の看板製品に、ほんとはまあまあいいなと思っていても☆ひとつの口コミを書き込むマーケ担当者みたいな状況だったはず。
案外、ふたりが実際に顔を合わせていろいろと話したら、天才どうし気が合うこともあったかもしれない。陰陽でキャラが違いすぎるから無理かな。
まあともあれ、ドラマを見ていて「清少納言が歌を詠む時」として思い出したのが枕草子のこの段。まったくもって美しいです。
何かつらいことがあったとか、切ない恋のさなかにいるとか、そういう時ではない。絶景を目にした瞬間でもなく、公的な歌会の場でもない。長谷寺へのお参りというシチュエーションの中でも、寺へたどり着いてお参りしたタイミングではないのです。
いつもと違う旅の途中、疲れて寝落ちをして真夜中に目覚めた。静かな夜に、ふと差し込んだ月の光がきれいだった。エモーショナルだった。
そんな時に歌を詠みたくなるだなんて、いつもにもまして感性キレキレ、そしてどこまでも美しいです。
そして清少納言自身がこの時に歌を詠んだ云々というのではなく「そんな時に人は歌を詠むのだろう」と書いています。
歌の、文学の始まりと本質をさらりととらえた考察。すごい。
清少納言、さすがです。