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「バックステージ」の魅力と違和感

昨晩放送されていた「日本アカデミー賞授賞式」。
毎年華やかな場所で華やかなお衣装を纏いながら思いのたけをスピーチで話す役者さんたちを見ることができる場として、楽しみに拝見しました。

とっても楽しかったのですが、ところどころで違和感がじわり。
なぜだろう?と考えていたら、「作品作りの裏側」を語るにも、種類があることに気付きました。

役者さんたちとよくご飯食べに行きました、とか、憧れの●●さんと共演できて嬉しかった、とか、ラブシーンはこういうふうに監督に指導されました、とか。そういうのは、聞きたくなかったなぁと思ってしまった。
作品を観ているときって、ものすごく没頭している。その人物が本当にいて、その出来事が本当に起こっている。そんな気持ちで観ているから、ときにものすごく感動し、ときにものすごく悲しくもなり、苦しくもなる。「あぁ、今この瞬間、カット!という声がかかって、作りものだよって笑ってほしい」とすら思うときもあるほど、入れ込んでしまう。だからこそ、儚くて尊くて美しい。

一方で、バックステージの話を聞くと、より一層その作品が輝いてみえるものもあったりする。役者さんや監督、スタッフさんのその作品に込められた想いやこだわりが見えると、とても嬉しいし、作品を観るときの新たな視点や発見につながったりする。そのエピソードが「作品」にフォーカスされていればいるほど、素敵に聞こえる。

コンサートDVDやCDの特典映像や、ドキュメンタリー番組とかもバックステージを語るもののひとつで、どれもとても好きです。アイドルやアーティストは、その人間自体が表現者で、その人間自体に惚れているときって、どんな裏側を観るのも楽しい。だけど、映画やドラマ・舞台のような物語は、物語である作品が主役で。だから、作品とは遠い現実世界の裏話を聞くと、少し残念な気持ちになってしまったり。

役者さんたちにも裏話を求められるってことは、それだけニーズがあるのかなぁ。役者さんを、「作品の一部」と捉えているか、「ひとりの個としての表現者」と捉えているかで、受け止め方も違うのかもしれない。

なんでも見えて、なんでも言えて、なんでも知れちゃう世の中だから、いろんなニーズに応えながら世界観を保つことって、難しいんだなぁと感じた瞬間でした。

Sae

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Sae
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