包容力って、どうやって身につけるの?
少し前に、ひょんなきっかけで知り合ったおじさまがいます。
変な方ではなくて(笑)、どうやら大学の教授をされているらしく、私が興味を持っている分野のことや社会経験なんかを話すと、生徒でもない私にとても丁寧に教えてくれる人。きっと私の父よりも年上で、私にとってはおじいちゃんのような感覚を抱く方です。わざわざ会うことはあまりないですが、時々メールをくださり、「こういう本を読むと面白いかもしれないよ」と、さりげなく助言をくださいます。
その方の言葉には、「圧」というものを感じません。
私の境遇や考えを話したら、あまりに未熟で「こうした方がいいよ」と言いたくなる大人の方はたくさんいらっしゃると思いますが、その方は、「こうすべき」「この方がいい」と断言することは絶対にしません。「こういうことが気になるのかな?」「こういう考えなのかな?」「もしかしたら、こういうことかもしれないね」くらいのテンションで、全て受け止めてくれます。根っからの人見知りで警戒心が強く、あまり心を開かない私が、「実は・・・」と思わず口を開いてしまうほど。
人は、自分よりも知識や経験の多い人や目上の方を目の前にすると、自然と萎縮してしまうような気がします。私もずっとそうだったので。「こんな風に意見したら、それは違うとか甘いとかって言われちゃうのかな・・・」と萎縮し、えいや!と気合いを入れて言ってみても「それは違う」「そんなわけないじゃないか」とか言われてしまう始末。そうして玉砕を重ねていくうちに、「自分の意見とか言ってもしょうがないかも」「最初から『はい』『そうですね』って素直に言っていればいいんでしょ」という状態になってしまう。
私もいい年齢なので、否定されたくらいで傷ついている場合じゃないなーとも思う。でも、それは「そう思う」だけであって、傷つかない、というわけではなく、その傷がボディブローのように後々効いてくるんですよね。多分、よほどの鈍感な人じゃない限りは、浅かろうが深かろうが、少しは傷つくはず。
私がこれまで出会った「圧の強い大人コレクション」を総合的に振り返ってみると、言葉や態度だけでなくて、その先に「俺が・私が、一番正しい」という考え方が存在しているように思います。
「君の意見、聞かせてよ」「みんなで話し合って、決めていきたいね」「若い人の視点も必要だから」とかいう言葉はかなりの高確率で表面的なもので、そういう言葉に何度も騙されてきました。段々と「(俺の・私の意見が一番正しいし、結局そうするんだけど、一応上司として部下の意見を聞いたり育成することも大事だから話を振っておこうかな)で、君はどう思うの?」という文脈まで予想できるようになってしまう。
圧がある中でもしっかりと意見を述べよ!という気持ちもわかりますが、そんなことをみんながいつでもできるようであれば、こんな窮屈な社会にはなっていないはず。「俺が・私が、一番正しい」とか「結局はここに着地させる」という話の仕方で相手に圧を与えるんじゃなくて、その人の本音をひき出せるようになりたいなぁと思う。
誰だって、何かしら何かを思っているはずで。「マジでなんも考えてない」って時でも「なんも考えてない」って言えるはずで。「なんも考えてない」理由だってあるはずで。「こんなこと言っても否定されるだろうな」という心の壁を取り払わせ、詰め寄る必要もなく人の話を聞き出せる人って、素敵だなぁと思います。そういう包容力を、そのおじさまから感じ取ったのでした。なかなかそういう人には出会わないので、幸せだなぁと感じる次第です。
こういうのって、年齢じゃないんだろうなぁ。だって、圧が強くて周りを萎縮させる大人って、たくさんいるもん(笑)圧で人を支配する大人にだけは、なりたくないですね。なんか欅坂46の歌詞みたいになってきたな。
包容力って、どうやって身につけるんでしょう。それもわからないので、私はまだまだ、ひよっこってことで。
Sae