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note初め 感謝を込めて、みなさまへ

2020年が、明けました。

東京オリンピックが決まった時、嵐が活動休止を発表した時、「2020年なんてまだまだ先じゃん」と思っていたのに、こんなにすぐにやってくるなんてびっくり。そんなに焦らなくてもいいんだよ?と言ってあげたい。時代に。


今は休職中ではありますが、少し前まで、バリバリと毎日朝から晩まで仕事漬けだった時がありました。

ある日、通勤ラッシュ、7時台の大手町駅地下通路を足早に歩いていると、向かいからきたサラリーマンらしき男性に、思い切りぶつかられました。咄嗟のことで避ける事もできず、ピンヒールのパンプスを履いていた事もあり、思い切りくらったまま倒れ込んだ私。

膝を強く打ってしまい、痛くてなかなか起き上がれなかったのだけれど、声をかけてきた人も、手を貸してくれた人もいませんでした。

当時は「あぁ最悪な日だ」と嘆き、ぶつかってきたサラリーマンを恨み、誰も助けてくれない冷たさに心がしぼんだけれど、今なら色々と考えることがあります。

なんであのサラリーマンはぶつかってきたんだろう、とか。なんで誰も助けなかったんだろう、とか。

もしかしたら、わたしが見るからに力のない若い女性だったから、ぶつかったとしても「おいテメェ」などと振り返って返り討ちにあうこともないだろう、と瞬時に思ったのかもしれない。(例えば相手がガタイの良い男性なら、同じことをしたでしょうか)

もしかしたら、ひとを弾き飛ばしてでも急がないといけないほど、その人は追い詰められていたのかもしれない。(1分1秒を争う、その人しかできない仕事ってなんなのだろうか。それを求める職場って、どういう体制で回っているんだろうか)

もしかしたら、同じような理由で、大手町駅地下通路を歩く会社員たちは、わたしを助けたり手を貸したりする時間なんてなかったのかもしれない。もしかしたら、スマホを見ているか、本を読んでいるか、英会話のリスニングをしていて、わたしが転んで倒れていることに、気づかなかったのかもしれない。


要は、個人を責めたところで何も報われない、ということを考えるようになりました。全て、背景に、社会がある。文化がある。経済があり、法があり、科学がある。

「このおっさんムカつく」で終わらせない、もっと建設的な考えをしてみたい。そういう余裕を持ちたい。ひとを憎んだり恨んだりすることではなくて、考えること・知恵をもつことによって、問題を解決できるような人になっていきたい。そんなことを、1年間ずーっと考えていました。


そんな中で、「努力」という概念も少しずつ変化していきました。「すり減らすこと」「我慢すること」は、イコール努力ではない。そんな風に頑張らなくたって、できることが山ほどある。やれることは、まだまだある。これは、自分が体調を崩して気づいたことです。毎日こうして文章を書くことは、わたしの中では全くもって「すり減らす努力」ではありません。


文章を書くことが上手い人は、山ほどいます。心を動かす感動的な作品を書ける人も、星の数ほどいることも知りました。その上で、自分なりに「こうなっていきたい」「こんなことを感じ取ってほしい」と考えることが増えました。もっと上手くなりたい、良いものを書けるようになりたい、とも強く願っています。

ふさわしい努力を、していきたい。
すり減らす努力ではなく、自分で考え、感じ、自由と責任の上で、選び取る、というステップを、大事に大事にしていきたい。

毎日、感性を研ぎ澄まして、身体を使って、訓練を重ねて。そうやって、目一杯の空気を感じながら、毎日を楽しむ。今は、そんな気持ちでいます。


改めまして。
昨年は、たくさんの方とこの場で出会えて、本当に幸せな一年になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。書くことは楽しいですが、読んでくださる方がいて、幸せが何百倍にもなります。心から、ありがとうございます。

今年も、たくさん書きます。溢れるがままに!
どうぞ、気が向くままに、読んでいただけたら嬉しいです。たくさんおしゃべりしましょう。
まだまだ、未熟者なわたしです。どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします。

Sae

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Sae
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