自分の文章が好きかもしれないと気付いた話
最近全然活字を読んでいない。
では何をしているかというと、歩き回る次男の後を追い、次男が投げ飛ばしたものをせっせと拾い集め、次男が口に入れているティッシュや落ち葉を引っ張り出し、それと同時に長男の「ママ見てて」「ママこれ一緒に読もう」に対応している。
.......何かこう、自分のための時間がほしい。
授乳しながら、昼寝をさせながら、手元のスマホで洋服や雑貨をぼーっと眺めたりはする。
そしてストレスが限界値に達した時にちょこちょこ買う。
一週間に一回の頻度で限界が来るので、割と頻繁に私宛ての荷物が届く。
でも何か消費するだけじゃなくて、生産性のあることがしたい。活字を読みたい。
そんで書きたい。
そう、書きたい欲もすごくある。
そんなわけでnoteを開いて、下書きに入ってる記事の続きを書いてみたり、新しく書き始めてみたり、ちょこちょこやってみたんだけど、今までどうやって書いてたんだっけ?って分からなくなっちゃって。
とりあえず遡って自分の過去記事をいくつか読んでみたんだけど。
食器洗いからの奴隷解放宣言の話とか、2021年の振り返りとか、クリスマスプレゼントを買いに行った話とか、自分で書いた記事なのに全然覚えてなくて。
「面白いじゃん」「うわ、気が合う」「息子エピソード可愛すぎん?」って、めちゃくちゃ気が合う人を見つけた!みたいな、楽しい気分になったんだよね。変な話なんだけど。
今まで別に自分の文章が面白いとか個性的とか需要があると思うことはなかったから、今初めて「自分の文章好きかも」って気持ちになって、正直戸惑っています。笑
noteユーザーさんの中にも、もしかしたら「自分の文章良いじゃん」って思えずに書いてる人って割といるんじゃないかな。
「どこにこんな話の需要があるんだろう」とか「いいね付かないのに書く必要あるのかな」とか「フォロワー少ないのは自分の文章力が無いせいだ」とか思っている人にこそ、己の過去記事を読み返してみてほしい。
それはもしかしたら、今読んでる自分自身のための記事だったかもしれないから。
数億人の他人には需要なくても、かけがえのないたった一人の「自分」には需要があったりするから。
そういうわけで、なんか文章書きたいし読みたいけどまず何から手を付けよう....ってなったら、過去記事を読み返すのおすすめです。
もし今同じテーマで書けって言われても「この言い回しは出てこないな」とか「こんな勢いでは書けないな」と思うことが多々あるから、やっぱりその当時の熱量で書かれた文章というのはちゃんと味があって面白いんだなと感じた次第です。
以上、自分の過去記事を読んで「この文章書いた人と仲良くなれそう!」という謎体験をした女の話でした。