推しを推すということ
※MCUドラマLOKIの最終話ネタバレあり
私の推しは二次元にたくさん存在するのだけど、
1人は悪魔と契約して魂を取られるのが確定しているし、1人は時を止める強敵に殺された。
1人は仲間を大勢失い、自身も片脚を損傷した。
1人は今アニメで冷凍保存されている。
そして1人は神聖時間軸で首の骨を折られて絶命したが、別の時間軸では人々の自由意志を守るために孤独な玉座に着く神となった。
推しがいるというのは、心にある種のときめきをもたらしてくれる。
(私の場合)恋愛感情とは違って、その人の人生を見守り応援したいという気持ちが強い。
だけど私が推すキャラの傾向として、殻に篭りがちで本心を打ち明けられる友人が少なく、目的のためなら他人でも自分でも犠牲にして突き進みがちな人物が多い。そしてその結果、命を落としがちである。
新しい漫画やアニメに出会うたび、「この人を応援したい...!」というキャラが登場しては、敗北するか命を散らしていく。
ハッピーエンドで終わった推しは数少ない。
王道の明るい主人公タイプを好きになればいいのに、どこか影のある人物や、主人公の相棒、師匠、ライバルなど、死亡フラグが立ちやすい人ばかり気になってしまう。
そんな私の最推しが、最近バッドかハッピーか判断の難しいエンドを迎えた。(詳細は後日別記事を書く予定)(今のところ無気力)
「独りになりたくない」「友達を取り戻したい」と本音を溢した彼が、他でもないその友達のために、自分を犠牲にした。
時の終わりに用意された、一人分の朽ち果てた玉座。
宇宙に存在する全ての生物の自由意志を両手に握り締め、彼は独りその玉座に腰を下ろした。
最後の最後に微笑みを浮かべた彼は、果たして幸せなのだろうか。
幸せ、なのかもしれないな。
何千回とタイムスリップを繰り返した果てに、彼は大事な人全員を守る道筋を自分で切り拓いた。孤独を覚悟の上で、友に背を向け歩いた。
その決断はあまりにも気高く、尊い。
私にとって推しを推すということは、推しの選択を尊重し、応援するということ。
彼が選んだその結末が、彼の守りたい存在を守ることに繋がったのなら、それはとても喜ばしいことなのだろう。
彼自身の最上の幸せを願っていた私はその結末を数日引きずって、今もまだ引きずって思い出しては泣くけど、初見でわーっと胸が熱くなって大きな拍手を送りたくなったのも事実。
そんな決断、誰にでもできることじゃない。
成長したね、たくさん頑張ったね、大事な人たちを守ったね。
素晴らしい冒険を見せてくれてありがとう。
.....とは言え、しんどいので、私はしばしば推しを自分の人生に取り入れて明るい妄想をすることにしている。
最推しの孤独な神になったロキに関しては、私の存在する時間軸も今見守ってくれてるんだな....と空を見上げて感謝してみたり。
「ファントムハイヴ家の執事たるもの、この程度のことができなくてどうします?」と心の中で呟きながら、推しに仕えるつもりで部屋の掃除をしてみたり。
推しが持っていたのと似ているアクセサリーを買って身に付けてみたり。むしろ自分で概念アクセサリーを作ってしまったり。
二次元の人物相手に何を大袈裟な....と思われるかもしれないけど、推しを推すのも楽じゃない。
みーんな幸せになってくれればそれが一番だけど、“私の主観での幸せ=推しにとっての幸せ”ではないからね。
それぞれの物語で、命の限り生きた(生きている)推しを、誇りに思ってこれからも推していく。