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全国ニュースになった私の風邪
最初の手術予定日の前日だった冬のある日、私はその病院に入院しました。念のために朝一に家を出発したものの、入院手続きはやはりそれなりの時間で、ちょうど看護師さんに言われた通りくらいの時間になっていました。
それまで入院とかしたこともなかった私は、すごく新鮮な感じで、看護師さんに連れられ、いろいろな説明を受けました。そして、一通りの説明が終ると、私は病室に入り、荷物の整理をしました。無理に空けてもらったというその個室が、私がしばらく暮らす部屋になるはずでした。最短では2週間くらいの入院になるだろうと言われていましたね。
やがて前もって言われていた時間となり、私は手術前の診察や検査に回りました。麻酔科の診察、レントゲン検査、肺活量検査、血液検査。加えて、たしか前回の診察の時くらいには心電図の検査も受けたと思います。
そして、病室で某先生から陰部の診察を受けました。今更?とは思いましたが、そう言えば、この時までその先生に診察は受けていないことに気がつきました。
手術は翌日。時間にするともう数時間だと計算し、私の緊張感はますます強まり、呼吸はさらに速くなって行きました。
そして、私は生まれて初めて病院のお風呂というものに入りました。普段よりかなり早い時間の入浴。すごく落ち着かない感じでした。もちろん死ぬほど待ち遠しかった手術、それが数時間後のことになるはずでした。
しかし、お風呂から出てみると何だか看護師さんたちはあわただしい感じで、ふと周りの雰囲気が変った気がしました。私が次のお風呂の順番の人に声をかけて病室に戻った途端、それは始まりました。
なぜか手術に関わる先生方がぞろぞろと勢ぞろいで病室に入って来たのです。婦人科、泌尿器科、形成外科、皮膚科、そして看護師さん。関連する科の先生方が全員でいらっしゃったと思います(精神科の担当医の先生も後に来てくれました)。それは病室に入りきれないほどの人数でした。私はベッドに身体を起こして、一体、何が始まるのか不安になりました。
そして、私は知らされました。明日の手術が行えなくなったことを。
血液検査の結果が出て、白血球数が多くて、手術はできないと。そう、本人も気付かないうちに私は風邪をひいてしまっていたのでした。呼吸の速さは緊張感はもちろんのこと、風邪のためだったのです。
「何とか手術をできないか、よくよく検討したんだよ」
私は説明しながら優しく慰めてくれる先生方の声を聞きながら、世界が何だか暗く、遠くなって行く気がしました。天国から一気に地獄に落ちた感じで、ただ絶望感だけがありました。
気がつけば、涙が流れていました。表情が変らないままで泣く、まるでTVドラマのようでした。
入れ替わり立ち代わり、私を慰めに病室に来てくれる先生や看護師さん、 今だから言えることですが、非常に感謝しています。
しかし、その時の私には何も聞こえていませんでした。なぜなら、次の手術予定日がいつになるか、まったくわからないことですし、それこそ、もう私に対する手術自体が行われない可能性だってあったわけです。そもそも、もうそれなりの年齢の私には、次の手術の予定日まで身体の健康が保てるかどうか、とても疑問でした。
運のあまり良くもなく、もともとネガティヴな想像が何より得意な私でしたから、次の予定日までに病気になるとか、事故に遭うとか、そんなことで頭がいっぱいになっていました。
それでも、泣きながら時々冷静になった私は、とりあえず誰かに伝えなきゃと思いました。まず大切な女友達の某さんに電話で泣きつきました。そう、私は泣きつきました。そしてパートナーのおじさんに電話しました。
やがて夕食の時間となり、本当ならそれは手術前の食事となるはずでしたが、普通の食事に切り替えられたものを看護師さんが持って来てくれました。もちろん、その時の私にはまるっきり食欲もわかなかったので、看護師さんは「少しでも食べてね」と声をかけて、病室の隅に置いて行きました。しかし、そのいい匂いも私にはうっとうしいものでしかなかったのですが。結局、それは箸をつけられることもなく、またわざわざ来てくれた看護師さんが片付けてくれました。
その後も私はぼーっとしたり、また泣いたりを何度も繰り返していると、それからさらにしばらく後に先生とおじさんが病室に来ました。どの先生かわかりませんが、おじさんに電話をしていたのだそうです。正直、「明日の仕事もあるのに何をわざわざ」と私は思いました(笑)。
そして、その後も何度も泣いてしまう私は導眠剤を処方してもらい、その日の夜を何とか眠ろうとしました。もちろん、実際にはあまり眠ることはできず、うとうとした程度でしたが。
次の日も朝早くから何人もの先生や看護師さん達が次々に病室に来てくれて、声をかけて励ましてくれました。ただ、「病院としても行いたかったんだよ」と言ってもらえても、私はうれしい反面、「迷惑をかけてしまった」ことでまた泣けてしまいました。
こうして、私の生まれて初めての入院は、目的の手術自体が行われることもなく、寂しく退院することになってしまいました。
そして、お気づきの通り、新聞では手術予定日だったその日の夕刊、次の日の朝刊、そしてまたTVでも私の手術が延期になってしまったことが伝えられたのでした。
「本人の体調不良により。。。」
まったくもって、大きなお世話でございました。