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僕らのヒーロー


 小学校の門のすぐ近くに少し広めの歩道があり、そこで昔のゲーム盤を広げて遊んでいた。
 なぜわざわざそんな場所を選んだのかは分からないが、近くに住んでいる友だちが家からゲームを持ってきていた。

 ゲームは何種類かあったと思うが、自分の印象に強烈に残っているのは、軍人将棋なるものだった。
 ルールは今でもよく知らないし、他のみんなも知っていたかどうかあやしいものだ。
 ゲームをするのは基本二人で、あと四人は周りで見ながら、あーだこーだと騒いで盛り上がっていた。

 ゲーム盤を広げている場所から、片側二車線の道路を隔てた向こう側に、古い土壁造りの洋服屋さんのような店があった。
 記憶が曖昧だが、洋服を仕立てるというよりも、破損した箇所を直したり、袖や裾などのサイズを直したり、そういう職人技を売りにしていた所だったと思う。

 その店に男性の小人(こびと)が働いていた。いま思い返せば、小人症の男性だったと思う。

 彼が主人だったのか、後継者だったのか、雇われていただけなのか、今となっては分からない。
 子どもたちは、失礼ながらこびとと呼んでいたが、「都市伝説のおばあさん」のように恐れられる存在ではなかった。
 親から聞いたのかも知れないが、五頭身くらいの体は、病気で身体的成長が止まったためだと何となく分かっていた。自分たちとあまり背の高さが変わらないおじさんで、子どもなりに歳上の大人なんだと認識していたと思う。

 ある時、こびとが自分たちが遊んでいるところへやって来た。
 黙ってガムを差し出してくれたので、喜んでみんなで分けた。また風船をくれたことも覚えている。
 当時、駄菓子屋とかオモチャ屋とかで、ガムは十枚で十五円くらい、風船は一つ一円で買えた。しかし子どもにとっては値段の問題ではない。何かを貰うとそれはそれはうれしいし、子どもとは現金なもので、何かをくれる人は神だった。

 そのうちに道路を渡って向こう側の洋服屋さんを見に行くようになった。
 二十メートルくらいの道路は、「こちら側」と「あちら側」を分け隔てていたが、僕らはついにその境界を越えた。

 洋服屋は、高さ1メートルくらいの木板の上がガラスになっていた。そのガラス戸に顔をくっつけて、こびとがいるかどうか中を見た。
 居ることを確認したらそれで満足して、上機嫌で帰途についた。

 何かを貰おうと思った訳ではなく、ただあの人が今日も居ることに安心した。


 こびとは僕らのヒーローになっていた。

 少なくとも僕ら六人にとっては間違いなくヒーローだった。


(こびとと言うのは良くない言い方ですが、五十数年前の子どもたちの話なので、どうかご容赦ください。)

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