絶対に行ってはいけない
行ってはいけないと言っても、心霊系の話ではありませんのでご安心ください。
五十年くらい前のことである。
母の妹である叔母、叔母の配偶者である叔父、叔父の母親の三人は、新しくできたオシャレな住宅街に住んでいた。
しかし叔母と義母はお互いに自己主張が強く、うまくいっていなかった。叔母はうちに来ては母に愚痴を聞いてもらうのが習慣になっていた。
叔父は勤務医で忙しかったこともあり、積極的に二人の仲を取り持つこともなかった。叔父と叔母の間には子どもが居なかったこともあり、二人で食事に行ったり旅行したりして、人生を楽しみたい気持ちが強かったように思う。
ある日、母が叔母の家を訪ねると、叔母の義母は留守だった。そんなことが何回か続いて、おかしいと思った母が問い詰めると、認知症が進んだために施設に入ったという。母は叔父にも話を聞いたが、あまり関心がなさそうで、医者仲間に良い病院を紹介してもらったという話だった。二人ともときどき面会には行っているようであった。
認知症といってもどんな状態なのか気になった母は、自分も面会したいと叔母に頼んだ。
絶対に行ってはいけない。
でも叔母は叔父と面会に行っているはずである。行ってはいけないというのはおかしい。
お姉さん、あんな所、絶対に行ったらダメよ。
あんな所って、どういうこと?
見るもんじゃない!
あんな所、絶対に見るもんじゃない!
ダメ!お姉さん、おかしくなるよ!
母はときどき言っていたが、叔母にはヒステリックな傾向があり、この時も半狂乱になっていたので、多少落ち着くのを待って冷静に申し入れた。
私も面識があるし、親族でもあるし、お世話にもなったでしょ。そんな人が認知症で入院したとなるとやっぱり気になるのよ。あなた方が面会に行く時でいいから一緒に連れて行ってほしい。一回会えば様子がだいたい分かるから納得もするでしょ。あなた方の親なんだから、それ以上は私が余計な口出しもしないし。
しばらく後に、叔父の運転する車でその病院へ向かった。
かなりの時間、山の方へ走ったところに、病院らしき白壁でかなり古い建物が見えてきた。
まず私が見てくるから待っててね。
叔母はそう言うと中へ消えて行ったがすぐに戻ってきた。
大丈夫だったからもう車を出して。
ちょっと!一人しか会ってないじゃない!
自分の親なんだからあなたも、あなた自分の親でしょ?ほら、三人で行きましょうよ。
お姉さん、もういいでしょ!勘弁して。ちゃんとした先生に紹介してもらったんだから大丈夫なのよ、大丈夫よ。早く車を出して。
結局その時に面会が叶わなかった母はその後、だいたいの記憶で単身その病院へ向かったのだが、家族でも直系血族でもないので面会することはできなかった。
十数年前のこと。
母の友人の夫が事件を起こして警察沙汰になったのだが、その後に精神病院に収容されたらしい。
母の友人は面会に行ったのだが、監獄のように鉄格子がはまっていたという。すぐに引き取らせて欲しい、夫をこんなところに閉じ込めるなんて許せない、と号泣して、ようやく家に帰れることになった。
その話を聞いた母は、昔の記憶がよみがえって病院の場所を尋ねた。
絶対に行ってはいけない。
あんな場所は。あんな所は。絶対に言えない。
二つの病院が同じだったのかは分からない。
別の場所でだが、つい五、六年前、取引先で鬱病に悩んでいる若者から話を聞いた。
僕はもう何年も姉さんに会っていないんです。
姉さんは精神的におかしくなって、ずっと入院してるんです。
面会とかはできないのかな?
絶対に行ってはいけない。そう言われてるんです。
家族側と病院側の利害が一致して、長期間入院、実質的に終身入院患者となるケースがあるのだ。
適切な治療が行われているのか、どんな待遇なのか、知る由もない。
死なない限りそこから出ることはできない。
「絶対に行ってはいけない」
そう言われる場所には深い悲しみが存在するのだろうか。