DIC川村記念美術館 休館について
8月27日、DIC株式会社が運営をしているDIC川村記念美術館を翌年1月26日に休館することを発表しました。
これを受けて大勢の方が美術館に駆けつけ、駐車場は満車、東京駅からの直通バスは臨時便を出しても満席という状態になっているそうです。
また、佐倉市や有志がインターネットで美術館休館反対の署名を募集し、佐倉市のほうでは国内外からの署名が約3万筆集まったとの報道がありました。
個人的にいうと、このニュースに対する人々の反応にはいらだちを感じています。
DIC川村記念美術館は、熱心な美術ファンの入場があるだけの、ほぼ孤立無援の状態で運営されてきました。なので、こちらとしては休館に関しては感謝の気持ちしかありません。
一方、いままでなんの支援もしてこなかった自治体がいまごろになって存続を希望し、常連さんの最後の美術鑑賞を邪魔するかのように一見さんが押し寄せている事態は異常といわざるをえません。それも、感謝のひとこともなく。
そればかりか、美術館を休館すれば日本の芸術文化が損なわれるなどという意見もでています。これは、おかしくないですか? これまでその文化を支えてきたのがDICであって、その活動を応援しなかったのが佐倉市や千葉県、今回署名活動を行ったひと、DICを批判しているひとたちの多くです。まったく倒錯しています。
サッカーファンも兼ねている自分からすれば、美術ファンの「文化を支える行為」が甘っちょろく感じます。
DIC川村記念美術館は遠いといいます。確かに遠いですが、首都圏の方は日帰りで行けない場所ではありません。遠方のひとでも、1日宿泊を増やせばいいだけです。
そんなことをするお金がない? 美術鑑賞が趣味なひとは、そんなにけちんぼなのでしょうか?
DIC川村記念美術館に行く費用は、東京近郊からだと片道1500円強の電車賃と入館料1,800円、総額4,800円になります。これを高いと思うかもしれませんが、サッカーファンはもっと多くのお金を趣味に支払っています。
どこのクラブも応援するひと用の座席は3,000円程度ですが、じっくり試合を観戦したいひとのためのシートだと4,800円では買えないクラブもあります(横浜・川崎・鹿島がそうです)。
それだけではなく、サッカーのファンは毎年、2万円近くもするユニフォームを買い、はてはアウェーゲームでよその都市に出向いて観光まですることがあります。
サッカーファンが地元のクラブの試合を観るのにくらべれば、DIC川村記念美術館に行くことぐらいどうってことないでしょう? それなのに、休館を惜しんでいる美術ファンのなかには年に1回はおろか、一生涯に1回も行ったことがないひとがいるのです。こんなのおかしいですよ。
サッカーファンは入場券や物販を通じて、クラブを支えているという自負がある。それに対して、美術ファンはどうなのですか? ほとんどお金を出していませんよね。それなのに、文化芸術を支えているだなんてよくいえたものですよ。
ブロックバスター展のグッズを買っているかもしれませんが、それで儲かるのは新聞社やテレビ局、Eastのような業者だけです。お金を落とすべきは美術「展」じゃなくて、美術「館」のほうです。
国や自治体、企業が美術館を運営しているから忘れられがちですが、美術館に訪れるひとたちもまた美術館を支える存在なのです。美術館に行かなかったら、運営主体が美術館に需要がないとみなすおそれがあります。DICが美術館を東京移転・規模縮小を考えているのも、単に現状では需要がないとみなしているからでしょう。
存続を望むのであれば、そう思われないためにも、常日頃美術館に行かないといけません。「行けたら行くわ」(=関西ではほぼ行かないという意味)の精神では本来、美術館の存続など不可能なのです。
文化芸術の大切さを語る前に、まず美術館にきてください。美術館というハコ(中身は新聞社や展覧会が主催している美術イベント)ではなく、美術館の収蔵品や学芸員が進めた研究の成果を見るために。
今回のDIC川村記念美術館の休館は、美術ファンとしてあるべき芸術文化との向き合い方を考えるいい機会になってもらいたいものです。かつて、Jリーグの横浜フリューゲルスが消滅したときのように。