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名作を読んでこなかったことが、恥ずかしい

だいぶ前の話ですが、京都文学賞の1次選考通過作品の講評に目を通しました。今回はWebでの発表はありませんでしたが、書面での知らせがありました。事務局の京都新聞COMさんから、封書が届いたのです。

一日置いて、封書を開いて読みました。自分の小説に対して感想を述べられるのが初めてのことだったので、届いてすぐに読むには勇気が必要でした。読み始めは緊張しましたが、読み終えてすぐ、ため息をつきました。講評はこれからの自分の創作にあまり参考になるとは思えなかったのです。

それは決して、読者選考委員の方の「読む力」を信じていないからではありません。むしろ、応募作を読んでくださったことに感謝、というか、申し訳なさがあります。

応募作は公表できないほど、完成度が低いものでした。途中から読むと、なにが書かれているのか分からない文章が散見されたのです。

「途中から読んだら、どんな小説でも意味不明だ」といわれるかもしれません。けれども、優れた作品は途中からでも引き込まれるものです。テレビの映画番組だとしょっちゅう最初の部分を見逃すのですが、それでものめり込んで、結局エンドロールまで観てしまいます。ストーリー以上に、ストーリーテリングが面白いからなんですよね。

そう考えると、ストーリーはストーリーテリングの結果として生まれるものなのかもしれません。プロセスがいいものはいい結果が出せるし、いい結果が出ているものはプロセスもいい。競争力の高い作品をつくるには、途中から読んだらつまらないということが当たり前であってはならないのです。

完成度の低い小説に対する感想がすばらしいものになるはずがありません。コンピューター用語に「ゴミを入れるとゴミしか出てこない」という意味の言葉があります。講評が自分にとってよくないものであったとすれば、それは作品が悪かったということです。

ひどい出来の小説を書いたことは反省しなくてはいけません。下読みの方や読者選考委員の方にまで迷惑をかけたな、というのが率直な感想です。

ただ、作品の完成度以上に、応募作品には残念なことがありました。

私は創作をするうえで、大切なことを忘れていました。
それは「系譜を踏む」ということです。

京都文学賞に応募した後、気分転換に少女漫画の名作を読みました。
「花の24年組」と呼ばれる作家の代表作をいくつか手に取りました。

そうしたら、驚くべきことがありました。萩尾望都さんの『11人いる!』と竹宮惠子さんの『地球へ…』に、応募作と近しいところがあったのです。

特に『11人いる!』の続編、「続・11人いる! 東の地平 西の永遠」はそうでした。読者選考委員から「パクったんじゃないか?」と思われるおそれがあるぐらいに設定が近かったです。

もちろん、作品の完成度は萩尾望都さんのほうが断然上です。私などは足元にも及びません。なにが違うかというと、アクションシーンの多さ、次々と起こる出来事によって生まれるストーリーの緩急です。登場人物の感情や認識が何度も揺れ動き、読者のこころをつかんで離しません。

私の小説はほとんど出来事が起きず、あまりにゆったりしすぎていました。小説なのだから、もっと事件が起きてもよいものなのですが、あまりにほのぼのとしすぎていました。

応募作の創作にあたり、スペキュラティブな(思索的な)作品をつくろうとこころがけていました。そうすることにかまけて、動きのない小説になってしまっていたのです。

もし京都文学賞に応募する前に『11人いる!』や『地球へ…』を読んでいれば、応募作を企画するときにアクションと展開力を高めて、これらの作品の次の系譜となる作品にするよう努力していたでしょう。

名作の系譜を踏むことの大切さに話を戻します。
今回のことで、新人は目新しい作品をつくることだけでなく、名作の系譜を受け継ぐことにも力を入れるべきだと感じました。

「名作に近しい作品」というのは、文学賞の下読みや選考委員にとって好ましくないことであるかのように書かれることがよくあります。「○○の焼き直し」だの「こういう作品はすでに○○あたりが書いている」だの。

こうした小説の読み方は、よっぽどの盗作でなければ、誤った読み方だと言わざるをえません。過去の作品とのどこが似ているのかではなく、なにが違うのかを比較することが大切なのです。現代性や新しさを発見すること、つまり「きちんと系譜を踏めているか?」が大事なのです。

今回の私の応募作を例にとります。

『11人いる!』も『地球へ…』も50年近く前に書かれた作品ということもあって、いまの常識だと陳腐化しているものがあります。宇宙船の設備やコンピューターが重厚長大で、スマートフォンでなんでもできる時代にあっては大げさに見えてしまいます。また、当時は冷戦ばかりが表面化していた時代だったからでしょうか、国家間対立の構図も単純です。これらのことを更新してストーリーを紡ぐだけでも、新人が書くべき作品になるのです。

名作をうまく利用することもひとつの有効な手段です。以前に行われた試みに新たな解釈を加えたり、別のテーマに応用したりすればよいのです。そうしてつくられる「新しさ」もまた、新しさなのだと思います。

過去に書かれた作品のなかに自分の進むべき道がある。そう考えると、いままであまり名作から遠ざかっていた自分が残念でなりません。

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