十一月に纏わる私的感情
もっと時間があれば
気が合うはずだった父の誕生日。
私とは真逆だが
気が合うはずだった妹の誕生日。
恩師の誕生日。ドストエフスキーの誕生日。
秋篠宮殿下の御誕生日……
今パッと思い出せないけど他にも
心の近くに存在する(していてほしい)人々の
誕生日がいくつも含まれている月。
それが私にとっての11月。霜月。
ブリュメール(霧月)。フリメール(霜月)。
それから、私が人生のなかで一番だいすきな本の中に、美しい星空と清浄な森林のなかで起きた象徴的な出来事が描かれているのですが、その出来事が起きたのも11月下旬(ちょうど私の誕生日頃)!
というわけで、多くの人にとってハロウィン撤収後、速やかにクリスマスモードに塗り替えてしまうべきこの30日間は、
私にとっては、もう会えない人々や出来事を、心のなかの物陰からそっと垣間見る一ト月だったりします。
後悔は避けて通らない。昇華もしない。
後悔は後悔としてあの頃のまま、ありのまま。
普段は格納されているけれど、それは
しぬまで私に影響を及ぼし続ける。
何を選んでも誤りだったこと。
そういう想い出を、色づいた木の葉の映える空に。
昔を秘めて燻む蒼空に。ただ泛かべていたい。
キラキラと飾り付けられた陽気なモミの木もいいのかもしれないけれど
突風で高空に吹き飛ばされた銀杏の葉は、
さながら昼間の星。
ただでさえ痩せこけてしまったこの国の秋。
その残りを惜しむように。
意味不明な我儘を言って申し訳ありません。