#17 体験して知った先天性心疾患 ファロー四徴症の娘
今日は3歳の娘の通院のため、家族みんなで大学病院に来ています。
娘は先天性心疾患(ファロー四徴症)を持って生まれてきました。生後2ヶ月と1年で心臓手術を行い、その後の定期的な経過観察のための通院です。
今日は、仕事や育児とは別路線の話題ですが、自分の備忘録も兼ねて、先天性心疾患(ファロー四徴症)の症状や、これまでの経過をお伝えします。
ファロー四徴症とは?
生まれながらの心臓の奇形のことです。具体的には、次の4つの状態があります。
心室中隔欠損
大動脈騎乗
肺動脈狭窄
右室肥大
娘は1から3が該当しました。
難しい用語ですが、
あるべきところに壁がなかったり(欠損)、
肺に向かう道が狭い上(狭窄)、
全身に出ていく道にもつながる(大動脈騎乗)
ことで、全身に酸素濃度の低い血液が送られてしまうという状態です。
これにより、泣いた時などに体が紫色になったり(チアノーゼ)、息が上がりやすかったりという症状が起こります。
これら心臓の奇形を改善する手術は可能で、手術後の生存率は100%に近いと言われています。一方、心臓の手術をしなければ、年齢を重ねる毎に生存率が低くなるとのこと。
多くの場合では、手術を行えば、呼吸の問題やチアノーゼは出なくなり、経過観察のみで日常生活を満足におくれるようになります。
産まれた直後に別の病院へ
娘は、生まれた直後に血中酸素の濃度が低いことが分かり、即座に別の病院に移されました。コロナ禍での出産であり私は立ち会えませんでした。娘が産まれた病院に私が駆けつけた時には、娘は既に別の病院に移されており、妻が病室で1人心細く待っていたのを今でも覚えています。
その後、私は娘が移された大学病院へ向かいました。何が何だか分からないまま、医師の説明を受けました。
心臓に異常があること、手術が必要なこと、手術には合併症が伴う可能性があること、手術をすれば基本的には問題なく日常生活をおくれるようになること、長く付き合っていかなければいけない病気であること、などを説明されました。その時の私にとっては、情報量が多すぎてとても処理しきれませんでした。まだ娘の顔もみていません。
その日のうちに妻の入院する病院に戻り、医師から聞いたことを伝えました。それに加えて、誰かが悪いわけではなく確率として起こってしまうもの、何も責任を負うことはないよと妻に伝えました。
発症の確率は4000人に1人程度。ゼロでなければ起こり得る。でも、手術をすれば日常生活を満足におくれるようになる。わかってはいても、受け入れるのには少し時間がかかったように記憶しています。
いつまで入院するのか…
娘はPCIUに入院していました。初めて顔を見たのは産まれてから1週間経った頃でした。面会が1日30分、ほとんど寝ていて、中々目を開けたところに出会えない。全身には色んな管が繋がっていて、酸素濃度を測ったり栄養を送っていたりしていました。
面会の度に、冷凍した母乳やオムツ、衣服をもっていき、汚れた衣服を持ち帰るの繰り返しでした。
一体、いつまで入院するのか、先も見えないまま時間が過ぎていきました。
生後2ヶ月で1回目の手術
娘が生後2ヶ月になった頃、1度目の手術を行うことになりました。これは本格的な手術ではなく、心臓が大きくなるまで元気でいるための手術です。手術の内容は、全身に酸素濃度の高い血液が行き渡るように、バイパス用の仮の血管をつけるというものです。手術前後の子細については、後で書くとして、いきなりの試練に親は不安で仕方ありませんでした。
手術当日、朝一から手術が始まりました。時間が経つのが異様に長く感じました。数時間後、無事に終わりました。
数日後、娘は退院しました。
退院後は、心臓に負担がかからないよう、ミルクの量を制限したり、便が溜まらないように浣腸や肛門刺激を毎日やったりと、初めての育児に応用動作が追加され、てんやわんやの毎日でした。
娘としてはミルクが飲みたいのに、制限のために満足に飲めず、飲んだ直後でもお腹が空いて泣く。親としては、泣くと心臓に負担がかかるので、泣かないように必死にあやす。この板挟みが苦しかったです。
1歳で2回目の手術
1歳になると、心臓が大きくなったので、本格的な手術を実施しました。具体的には心臓の空いている壁を塞ぐこと、狭い出入り口の間口を広げるといった手術でした。
こちらも数時間かかりましたが、無事に手術は終わりました。
退院後、次第にミルクの制限がなくなり、便も自分で出せるようになり、通常状態にもどっていきました。
小さな身体で手術を乗り越えた娘
2回の手術はいずれも輸血を伴うものでした。麻酔をかけ、一時的に心臓を止め、人工心肺で全身血液を送りました。
手術の前には、合併症の可能性や万が一失敗の可能性があることを聞き、色んな同意書にサインをしました。手術は避けられないことはわかってはいましたが、サインには若干躊躇したのを今でも覚えています。
一番頑張ったのは生まれて間もない小さな体で手術を乗り越えた娘です。手術を乗り越え、ベッドで眠る娘の姿を見て、涙が止まりませんでした。
この子は生きていると思えた瞬間
手術から戻った娘のベッドをのぞき込むと、娘が寝ていました。麻酔がきれていないためです。胸には痛々しい縫合の跡が残っています。早く目を開けてほしいと祈るばかりでした。目は閉じていましたが、心臓が動いて呼吸しているのはわかりました。「この子はちゃんと生きている」と思えたことが、嬉しくてたまりませんでした。
手術を終え、その後
経過観察や検査入院を数回繰り返し、ようやく3歳に。幸い、息が上がったり、体が紫色になったりという症状は全くなく、元気いっぱい。むしろ元気すぎて大人が疲れるぐらいの子に成長しています。
手術後、手術箇所が望ましい状態になっているかを定期的に確認し、幸い今のところは順調な術後です。
今日は、レントゲンや心電図、エコー検査をやりましたが、大きな異常はありませんでした。また半年後、経過観察のようです。
体験して初めて知ること
娘がこのような症状を持って生まれてこなければ先天性心疾患については全く知らない人生であったと思います。先天性心疾患の医療費の助成制度があることも知りました。
もちろん体に異常なく元気で生まれてくることに越したことはありませんが、経験して初めて知ることや初めて見える世界もあるので、全部が全部悪いことではないと今は捉えています。
少しだけ残念なのは、大人になってから激しい運動が続けられないことと、胸に縫い跡が残ってしまっているということです。少なからず将来の選択肢が狭まってしまったことは残念ですし、縫い跡が残ってしまったことはかわいそうなことをしてしまったなとも思っています。
親子で一生つきあっていくもの
ファロー四徴症は、完全に治るものではありません。一生つきあっていくものです。娘が大きくなって自分の身体のことを知り、自立して生きていくときに、どんな症状でどんな手術をしたのか、何に気をつけて生活していくのか、しっかり伝えられるようにしたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?