コピーライターはマイクロジャーナリストなんじゃないか、という話
安田純平さんが今日会見をするそうです。
2011年から続く21世紀最大の人道的脅威とも言われるシリア内戦。
フリージャーナリストとしてその中に飛び込んだ結果3年も拘束されて、何度もテレビでその様子が流れたりしながらも、なぜか急に今になってカタールにより救出されました。
さて、そんなジャーナリストの役目といえば、報道用のコンテンツをメディアに提供すること。
私たちが普段知ることのできない情報を伝えてくれる人ですね。
しかしながら、海の向こうの戦争なぞ自分に関係ないことだと思っている人がおそらくほとんど、9割くらいだと思います。
私も恥ずかしながら中東で内戦が続いているという超アバウトな情報しか持っていませんし、
文献を調べたり、詳しい人に聞いてみようというほど、熱は高まっていません。
なぜなのか。
シンプルにいうと、それは自分ごとだと思っていないから。
まあ日常生活をしていて直接的な関わりを持つことはない話ですからね。
ジャーナリストが現地に取材にいくのは起こっている事実を伝えることを主としているけれど、やっぱり100%客観的な事実を伝えるのはある意味不可能に近くてー。
いつどこでシャッターを切るのか。数多くのできごとの中で、どこを切り取って人に伝えるのかで、必ず私たちのところには届かない情報がたくさんあるはずです。本当に真実を知ろうと試みるのなら、学者としてたくさんの文献をかき集めて整理・分類し、物理的にも近づいていってみて理解するほかないでしょう。
むしろジャーナリズムの本当の価値は、そういった事実そのものでなく、事実をもとに新しい見方や、考える道具を提供することにあるのではないでしょうか。
これってある意味コピーと似ているような気がしています。(まあ本来はどちらも伝える手段ということで、そりゃ根本は同じですが)
関係がなかった事象とその人の間の橋渡しをするために何をどう伝えるか考えるというところはコピーもある意味ジャーナリズムだと思うんです。
ようは課題のレイヤーのちがいであって、今いるコンビニの清涼飲料水の話と石油をめぐる国家間紛争の話は、私たちとの距離がどれだけ離れているかに尽きるのではないでしょうか。
コピーや広告でも、切り口を変えれば抽象度が高く“遠い”話をすることは可能であり
(それがACだったりカンヌに出るようなPR寄りの啓発広告)
いかに私たちに先がふれるような大きな世界の問題の切り口を、『鋭いななめカット』でコピーライターが見つけるかはわりと重要だと思うんです。
「マイクロジャーナリスト」としてコピーで世界の課題を自分ごと化していく人を増やすのは、ひとつ重要な仕事になっていきそうです。
社会課題に関心の高い人の少ない日本は、わりと競争率の低い市場じゃないかなと思いますし
何より自分が調べている過程で間違いなくいろんな世界の事象に対する理解が進むのは、それで楽しいのは容易に想像できます。
まずはシリア内戦から、はじめてみようかなと。