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ビンゴ!を一番最初に言えた日〜景品は卵半年分〜


その神社は、私が育った町のはずれにあった。地域の子ども達にとって格好の遊び場で、いつも誰かが走り回っていた。「偽富士」と呼ばれる小高い丘の上にはなぜか明治乳業の割れたベンチがあって、昼間はポケモンカードを交換したい小学生が、夕方以降は人の目を隠れてイチャイチャしたい学生たちが座っていた。時間は、無限にあった。

神社の夏祭りは、地域の一大行事。特に、盆踊りのあとのビンゴ大会は、地域あげての盛り上がりようだった。小学校4年生の夏、その年の元日にはおみくじで「凶」を引き、プール開き初日に結膜炎にかかり長く一人でプールサイドに座っていた私は、自分の運の悪さを自覚していたので、ビンゴといっても対して期待はしていなかった。否、わざと期待をしないほうがかえってダメージがすくなかろうと、子どもながらに工夫をしていたのだ。

ビンゴが始まり、番号が読み上げられる。5、12、29…またたく間にリーチである。こんなことがあるものか、きっとリーチばかり続いてビンゴにならないオチだろうと考えていたら、次の数が読み上げられた。
「次の数は…35番です!!」
すると私の手元のカードを見ていた姉が叫んだ。「ビンゴ!」

びっくりして自分の手元をみると、斜め一列にビシッと穴があいている。「ビンゴの方はこちらへどうぞー」と、さっきまで地方巡業の演歌歌手がじじばばを熱狂させていたやぐらに上げられる。瞬く間に、私は第一号ビンゴを叫んだ王者として地域のみなさまから熱い羨望の眼差しを受けることになった。

輝かしい景品だが、これが「卵半年分」だった。

半年分だから、1日1個と考えて180個くらいあったのだと思う。しかも「毎週1パックずつ」ではなく、段ボールにはいった大量の卵を一気に頂いて帰るという、たいそうな景品だった。卵を割らないように、姉と一緒にせっせとダンボールを持って帰り、ドアを開けて母を呼ぶ。「卵当たったよ!」の言葉に表に出てきた母は、その大量の卵パックに唖然としていた。

そりゃあそうだよな、と子ども心に納得していた。まず冷蔵庫に入らないじゃないか。そもそもうちの母は常時冷蔵庫を満タンにする癖があり、3パック入れるのすらギリギリだ。2等は自宅にお届け温泉水だったなあ…そっちの方がおじいちゃん喜んでくれただろうな…などと妄想しても後の祭り。とりあえず、母に「これ、全部食べれるかなあ?」と助けを求めると、「一人占めしたらいかんから、みなさんにおすそ分けしていこう」と提案された。そうして私たちは祭の終わりに卵配りをするはめになった。

当時住んでいたマンションの上から順に、友達の家を訪問して卵を渡すと、多くの人が、「あら、助かるわ。さっちゃん、ありがとう」と笑顔で受け取ってくれ、時にはお菓子などとの物々交換も行なわれた。そして1階の自宅に到着する頃には、手元に2パックだけが残っていた。

私の人生、後にも先にも、ビンゴ大会で一番ビンゴを叫んだのはあの時だけだったが、やっぱりあの夏は、運が悪かったのだと思う。

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