今を生きている自分は未来の自分と地続きってこと、忘れがちだけど忘れちゃダメだよね。
数年前の「すっぽかし」が、今になって影響している。
すっぽかしたのは、病院の診察だった。授乳のため睡眠不足が続いていて、娘が昼寝した際に自分も眠りこけてしまい、起きた頃には予約の時間が過ぎていた。大学病院だったこともあって、何度電話しても通話中で再予約ができず、「まあ、元気だし、いっかー」と放置してしまったのである。産前産後のホルモンバランスの乱れを心配した先生のアドバイスにより、2、3ヶ月に一度「元気にしてますよー」と報告するだけの診察だったから、少し軽く考えていた節があった。
幸いなことに、今日まで呑気かつ元気に暮らしてきたわけだが、突如、問題が発生した。夫の国へ引っ越すための移民ビザの申請のなかで、この「通院履歴」を申告しなければいけなくなったのである。
単刀直入にいうと、移民ビザにおいて既往歴というのは大変シビアにチェックされる。特に、精神疾患については質問事項から厳しいものがある。この5、6年元気だからOKというわけじゃなくて、生まれてこのかたの病歴などを嘘偽りなく申告しなければならない。入院を伴うような既往歴があれば、主治医の診断書が必要になるケースもある。
というわけで、私ももれなく主治医の診断書が必要で、数年ぶりに大学病院へ行ったのだが、なんと!主治医が系列病院への転勤していたのである。つまり、主治医に診断書を書いていただくことができないのだ。
さらに、
「あー、診療が自己中断で終わってますねー。これじゃあ、治療終了とは書けませんよー」
と、私のカルテを調べてくださった事務員さん。
「そんな!!数年服薬なくてもですか?自己中断というのは響きが悪くって…その、何か方法はありませんか?」
少し動揺してしまう。自分で通院を辞めてしまったなんて書いてあったら、大使館の面接官にまだ病状は重いんじゃないかと突っ込まれて、ビザ却下になりやしないかと思うと気が気じゃない。
「投薬を終了した時期や最後の通院日を記載した診断書なら出せますけれど、どうします?」
もうそれ以外の方法がないので、とりあえずそのようにお願いして、トボトボ帰ってきた。
それが先日の話。
この気まぐれな「通院をやめる」という行為が、未来にどんな影響を及ぼすかを考えることなく「すっぽかして」しまった私。今となってはしょうがないけれど、あの時に「この行動が私の未来に影響する」という視点を持っていたら…と激しく反省している。
今回は「通院」×「移民ビザ」だったけれども、「学校の成績」×「就活」だったり、「食生活」×「病気」、「夫婦関係」×「こどもの人格形成」、「貯金」×「老後の計画」…様々なバリエーションで、世の中には同じような経験が転がっているように思う。
いずれにしても、「昔の自分の行動が数年後、もしくは数十年後に、思いもよらぬ形で噴出してくることがあり、その時に過去を悔やんでも手遅れ」っていう経験って結構なダメージがあるよなぁ。なにせ、その原因は120%自分にあるわけだから誰も責められない。(環境のせいだとしても、最後の一手を選ぶのは大概の場合、自分。)そして悲しいかな、時間は巻き戻せない。
起きてしまったことは仕方がないから、前向きにできることをやるとして。
今日のnoteで何を書き留めて起きたいかというと、今を生きている自分は、未来の自分と地続きってこと、忘れがちだけど、忘れちゃダメだよね。ってこと。未来の自分への自戒。
例えば、リレーのレースでバトンを渡すのがとても好きな人だったら、できるだけ早く走ってバトンを渡してあげようとか思うだろうし、明日、自分の部屋に好きな人が来る予定だったら、大概の人は綺麗に掃除したりすると思うんだけれど、どうしてか、それが「未来の自分のため」となると急にやる気の度合いが落ちてしまう。
明日からこの人生の続きを生きるのが、自分にとって最も大切な人だとしたら、自分はどういう風に今日を生きるんだろう…と考えると、もうちょっと生き方を整えるんじゃないかと思ったりする。もう少し、冷静に物事を見始めるかもしれないし、自分に優しくしようと思うかもしれない。逆に、厳しくなるかもしれない。いずれにしたって、大切な人には、未来の「幸せになるオプション」をできるだけ多く、残しておいてあげたいと考えるだろう。
昔の私は「今」「今」「今」のなかで、もがいて生きることしか知らなかったから、2020年になってこんな風に考えだすとは予想だにしなかった。ただ単に、年をとったということなのかもしれないけれど。今の私は、「今」と地続きの「未来」の可能性を守ることの重要性をひしひしと感じている。そしてその変化はきっと、私の人生にとって幸いなことなのだろうと思う。