夏の芝生【掌編小説】

 翔太が間違って私の右側に立ってしまったことに気がついたのは、歩き出してすぐのことだった。

 ぎこちなく私の手を取ろうとして、彼は肩をビクリと震わせた。しゃっくりを無理矢理おさえたみたいに不自然な動きをしたものだから、私はもう少しで吹き出しそうになってしまった。初めてのデートでいきなり気を遣わせてしまって、私も何となくばつが悪い。けれど、大事なところで間の悪い翔太の姿を見ていると微笑ましくもなる。

 翔太は立ち止まってチラチラとこちらを見ながら、謝ればいいのか笑えばいいのか、よく分からないといった表情で口元をこわばらせている。そういう反応も仕方がない。なぜなら私の右の袖から先は空っぽ。私の右手は手首から先が無いのだから。

 私の右手は幼い頃、父が操っていた芝刈り機で跳ね飛ばされた。

 あれは夏の暑い日で、太陽が南中線を超えてギンギンに照っていた。私はまだ二歳を迎えたばかりで、芝生の上でゴロゴロと転がって芝塗れになっていた。父は向こうで汗をかきながら、買ったばかりの芝刈り機をブンブンとうならせていた。

 父の趣味で、昔の私の家は近所でもめずらしいアメリカンスタイルの輸入住宅だった。郊外の住宅地に建てられたそれは、モザイクタイルの敷き詰められた玄関があり、可愛らしいポーチがあり、そして広い芝生があった。父はどうやら娘の私が喜ぶような家を選んで建てたらしい。その頃、父の仕事は順調で母とも割にうまくいっていた。きっと誰にでも順風満帆な人生の時期というのはあるんだと思う。でも、まだ幼かった私には、父のそんな境遇や娘を思う気持ちはまったく分からなかった。ただ、広い庭の芝生は駆け回れば駆け回るほど、ひたすらに気分が良かった。私は跳ねたり転んだりグルグルと回ったり、子供らしいはしゃぎようを見せていた。庭の芝は、私の足の裏はもとより体中の皮膚をちくちくと刺して、幼い体にその輪郭を教えてくれた。

 娘がごきげんになっている様子に満足したのか、父は休みの度に私と母を庭先に連れだし、ピクニックの真似事をした。母が日に焼けるのを嫌がれば、ガーデンテーブルと椅子をセットで揃え、大きなパラソルを突き刺した。

 その日も冷えたカルピスがテーブルの上に置かれていた。母はその隣に腰を下ろしていた。三人分のグラスが夏の光を集めていた。グラスはひとつだけ小さく、あどけないクマのキャラクターがプリントされ、折り曲げられたストローが差してある。溶け出した氷がバランスを崩してカランと鳴った。

 母が立ち上がり、私たちに向かって手招きをした。彼女の丈の長い水色のワンピースは、そのとき寝転んだままぼーっと見上げていた空の色と同じで、風が吹くと夏を象徴する旗のように大きく揺らめいた。父は無心に芝刈り機を操っていた。刈り取られた芝は大きく跳ね上げられて私のほうまで飛んできていた。やがて母の手招きに気がついた父は、大きく歯を見せて額の汗を拭った。太い腕には緑色の芝がいくつも突き刺さっていた。私も全身が似たようなものだった。母は芝にまみれた父と私の姿を見て、パラソルの下で困ったように——でも楽しそうに——微笑んでいた。絵画のような夏の風景だった。百科事典に載せたいくらいの幸福な夏の風景だった。

 二歳の私はその時何を思っていたのだろう。

 好奇心だったのか、魔が差したというべきか。父の傍らに走り寄ると、回転する芝刈り機の刃をじっと見つめ、それに向かって手を差し出したのだ。父は母のほうを向いて大声で何かの冗談を言っていた。母はパラソルのつくる影から顔を出して、まぶしそうに太陽を見上げていた。ぎらついた刃に私の柔らかな右手の肉が触れたとき、私は唸りを上げる芝刈り機のエンジン音をかき消すほどの叫び声を上げた。喉や胸が内側からビリビリと震えてしびれるくらい、あらん限りの力で突き上げるような声を上げた。

 振り返った父の顔がみるみる青ざめる。ガーデンテーブルが倒れる音がする。同時に母の絶叫が響く。三人分のカルピスがこぼれて、氷だけを残して芝生に染みこんでいく。グラスは三つとも、ヒビが入ってしまってきっと台無しだろう。母は履いていた華奢なサンダルをどこかへ放り飛ばしながら、狂人みたいに私のほうへ走ってくる。私の右手は溢れた真っ赤な液体のせいで、何がどうなっているのかさっぱり分からない。ただ生暖かいヌルヌルとした感触が手首のあたりを漂っている。涙で視界が滲んでいく。私の呼吸も次第に荒くなってくる。それでも幼い私にできることは、体を震わせて泣き叫ぶことだけだ。

 ごめんさない、お父さんお母さん。

 それが私の人生で最初の感情の記憶だった。刈り取られたばかりの芝生に血だまりができる。なぜかスプリンクラーが回り出す。きっと午後の三時にタイマーを入れておいたのを母が忘れていたのだろう。弧を描いた水が芝刈り機についた私の血を、おえかきの絵の具のように洗い流す。芝刈り機はもう死んだように動かない。父に抱えられた私もぐったりとして動かない。まき散らされた水滴に光が当たって、そこかしこにプリズムが見えている。私はそれをとてもキレイだと思った。馬鹿みたいだけど、天国みたいにキレイだと思った。

 手当が早かったお陰で、私の命に別状はなかった。その頃私たちが住んでいた家は病院にほど近く、父は私の右手を力任せに掴んで止血しながら病院に駆け込んだ。母は取り乱しながらも、芝生の上に転がっていた私の右手を拾って両手で握りしめ、裸足のまま一緒に走ってきた。こうやって思い返すと、まるで悪趣味なジョークの効いた映画のシーンか何かみたいだと思う。

 一命は取り留めたものの、私の右手は無粋な芝刈り機の刃によって、骨ごとぐちゃぐちゃに切断され、元通りにつけることはできなかった。父と母は暗い顔でうつむいていた。二人とも幼い娘に起こしてしまった取り返しのつかない惨事に、押しつぶされそうになっていたんだと思う。でも、あまりにも幼かった私は自分の身におこった出来事の意味が分からず、二人が悲しそうなことが悲しかった。

 手術室の中で、私の右手は氷につけられたままそっと置かれていた。父と母はそれを処分することも、保管することも決断できなかった。なので仕方なく研究用にということで病院に寄付をした。だからいまでも、私の手首から先の右手は、二歳のあの日のまま、どこかの病院か大学の棚にホルマリン漬けにされて置かれているのだろう。私はときどき、暗がりにひっそりと置かれている、自分の右手のことを想像する。そして、私はいつか彼女に会ってみたいと思う。彼女に会ってみたい。ちょっとオカシイけど、そう言うほうがしっくりくる。

 こういういきさつで、私は右手を失った。

 でも、私は別にそんなこと気にしていない。だって私の記憶は右手をなくした時に始まっているのだから。これが私。100パーセントの私。少なくとも私にとってはそう。今のままでも十分人生は楽しい。テレビも見れる、学校でもお喋りできる、スポーツも意外と上手い。彼氏だってできた、それも抜群に気の合う彼だ。これに右手が加わったら、ちょっと重たすぎるかもしれない。それに、彼女はまだ二歳のままだから男の子と手をつなぐには経験不足だしね。

 翔太は立ち止まったままこっちを見ている。駅前の雑踏が私たちを迷惑そうによけていく。私は翔太の目をじっと見つめていた。少し耐えがたいような空白の時間が流れた気がした。

 私は左手を差し出した。彼の手が私の手に触れるのを待った。

 翔太はそれを無視して、私の右手首の上をぎゅっとつかんだ。翔太は顔を少し赤らめながら、そっぽを向いて照れたような声で何かを呟いた。その声は小さすぎて全然聞きとれなかったけど、でも私は彼の言ったことがきっと分かる。

 人混みに逆らいながら、翔太はずっと私の右手を握ったまま、私を約束した映画館に向けてぐいぐいと引っ張っていった。

(了)

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