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何の意味もなく、死ぬほど疲れた話【エッセイ】

書いたら面白そうなネタはいくつか思い浮かんでいるんだけど、季節の変わり目のせいか、今日はいまいち疲れて元気がでてこないです。
だから「疲れた」ことについて書くことにします。

今までの人生で一番の疲れ。それは「100キロハイク」を歩き終わった後です。
「100キロハイク」というのは、ぼくが通っていた大学の名物行事で、埼玉県の本庄から東京の高田馬場までの約100キロを、一泊二日で歩き通すという物好きなイベントです。体力の有り余っている若いうちだからできる酔狂ですね。今はただの物好きで100キロなんて歩けない、とてもじゃないけど。
そんなに体を酷使できないっていうのもあるけど、仕事や趣味でもないのに100キロを歩くなんて、ねえ。誘われても笑顔で断りますね。

でも、当時二十歳だったぼくは、今と違ってエネルギーが溢れていました。
誤解を招きそうですが、もちろん今だってエネルギーは十分にありますよ。でも10代後半から20代前半というのは、肉体に充填しきった以上にエネルギーが湧いてこぼれています。先日、たまたま昔出演した学生演劇のビデオを見返したのですが、何でこいつらはこんなに元気なんだと、ちょっと引いてしまいました。元気の理由が見つからなくて不安になるくらいでした。
馬鹿で無意味なこと、大いに結構。むしろそこに何の意味も説明もないほうが、やってやろうと闘志が湧く。青春、特に男子の青春というのはそういうものです。目的の前に、まず動物的発散があります。
振り返ればこうやって冷静に分析できますけど、当時はそれが自然そのままだから気が付きませんでしたね。動物的発散。

100キロハイクには、一緒に芝居や映画を作っていた連中とチームを組んで参加しました。全体では1000人以上の学生が参加してたと思います。
うちのチームは5名。役者をやっている人間が多かったので、ノリと勢いは達者で楽しい面々だったのですが、それが仇になりました。
いくら徒歩とはいえ100キロを二日がかりで歩くのは、無軌道な若者の体力を持ってしても簡単ではありません。気をつけないと本当に文字通り一歩も動けなくなります。実際に毎年リタイアは続出していて、ギブアップした人は救護車に乗せられて運ばれていきます。
本来なら正確にペースを掴んで歩いていく冷静さが不可欠なのですが、ぼくらは何せお調子ものの集団。まったくペースを守らないどころか、地図され読み違えます。当然、輪を掛けて体力が削られていきます。
そもそも口だけは達者ですが、日々体を鍛練しているわけではないのです。
言ってることに実力が伴っていないという、まあ若者の典型的な行動ですね。朝から深夜まで歩いて、初日のゴールに着いた時にはもうゾンビのよう。誰も一言もしゃべれませんでした。

一泊して起きた朝が地獄で、足がセメントのように固まっています。膝や足首の関節が痛くて曲げることができないんです。本当に1センチも動かせない。
こりゃあえらいことになったと、その時に気が付きました。だって全員寝ている状態から立てないんですから。そんな経験したことありません。仰向けになったまま「おい……おい……みんな大丈夫か……」と、掠れた声で無事を確認しあっている。まるで遭難者です。
15分くらいかけて、ゆっくりとゆっくりと足をほぐしてやっと歩けるようになりました。それでもロボットみたいに動くのがやっと。痛みだって引くわけではありません。2人ここで脱落しました。
3人で残りの30キロを歩いたのですが、正直ほとんど記憶に残っていません。ただすごく辛かったという「概念の塊」だけがあります。思い出してはいけないという防衛本能が働いているんでしょう。
大学に着いたのは夕方くらいだったと思います。
数キロ離れたところにアパートを借りていたんですが、そこに帰るまでもまた地獄でした。ゴールしたってHPが回復する訳じゃありませんから。ええ、歩いて帰りましたよ。ははは。

その後まる3日間、授業をそっちのけで寝込みました。ベッドの上から動けませんでした。食事も排泄も辛かった。生理現象なんかどうでもいいから寝かせてくれって感じでしたね。

この100キロハイク。本来は愛校心を養うという目的があるらしいのですが、企画倒れです。まったく養われませんでした。ぼくに残ったものは「極限の疲労感」だけでした。まあ思い出として語る分には楽しいですけど。
怪我でも病気でもなく、あそこまで元気がなくなることってそうそうあることではないので、貴重な経験なのかもしれません。
いや、そんなとってつけたような教訓は蛇足ですね。
何の意味もなく、死ぬほど疲れた。
ここにあるのは、それだけ。以上、解散。


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