ロスト・アンド・ファウンド【掌編小説】

 私が若い頃に働いていた骨董屋には、曰く付きの売り物があった。座面に深い緋色のクッションの付いたダイニングチェアだ。一見して洒落たデザインだし、ものも良い。店に出しておけばひと月と経たずに買い手が付いた。

 だが、不思議なことに買い取られてから数ヶ月経つと、客がまたうちの店に持ち込んでくるんだ。難しい顔をしてね。私が理由を聞くと客はもごもごと小さな声で、何となく座り心地が良くないとか、思ったより部屋に合わなかったとか曖昧な理由を口にした。

 店に置いておけば必ず買い手がつく。しかし、また手放されて店に戻ってくる。不思議な、というか気味の悪い話だ。そんなことが数回繰り返されて、私はある決断をした。自分でこの椅子を買い取ったんだ。

 当時、私はまだひとり身で、満足な稼ぎも無かったから、正直なところ椅子ひとつ買うのも苦しかった。でもどうしてだろうな、その椅子をじっと見ていると、何だかそばに置きたくなってくるんだ。私はなけなしの金を払って、その椅子を自分の部屋のダイニングに置くことにした。そして、何故その椅子が手放されるのかの理由が分かった。

 仕事が長引いて、随分と帰りが遅くなったある日のことだ。家に帰った私は部屋に誰かいることに気がついた。さっきも言ったが当時の私は一人暮らしで、恋人すらいなかった。だから他人が家にあがり込んでいることはあり得ない。しかしダイニングに誰かがいる。あの椅子のところに、うっすらと人影が見える。

 そう、その椅子には幽霊が座っていたんだ。まだ年端のいかない少女の幽霊だった。私は彼女の姿を見て、茫然と立ち尽くしていた。すると少女はこちらを向いて唇を動かした。しかし声は聞こえない。何かを言いたいのは分かるが、何を言っているかは分からない。薄暗い部屋の中で、やがて少女は口を閉ざして消えた。

 それから毎晩のように少女は椅子に座っていた。私に向かってひとしきり何かを言い、それが伝わらないと分かると消えていく。とても悲しそうな顔で。その表情があまりにも痛ましくて、恐怖よりも切なさを感じるほどなんだ。あんな顔を繰り返し見せられたら誰でもいたたまれなくなるよ。この椅子の歴代の持ち主はきっと、それに耐えられなくて手放したんだろうな。

 もちろん私も参っていた。このままだと心身がおかしくなってしまいそうだった。いっそのこと椅子を捨ててしまおうかとも考えたが、それも少女の存在そのものを遺棄するような気がして躊躇われた。

 ある晩、私は意を決して少女の向かいに座り、問いかけた。なぜ君は幽霊になってここに座っているのか、何をしたいのか。しかしダイニングテーブルの向こうの彼女は、いつもどおり何かを繰り返し呟くだけだった。私は頭を抱えてしまった。少女が消えた後、私の部屋には場違いに立派なダイニングチェアが一脚残されているだけだった。ひとり暮らしには決して必要ないような立派なダイニングチェアが——その時、閃いたんだ。

 私は翌日からほうぼうに電話を掛けて回った。骨董屋で働いていたことは幸運だった。その筋の伝手が多いからだ。それでも求めているものを見つけるのに数週間はかかった。貯金も底をついてしまった。それでも全てが揃ったのは奇跡的だった。いや、彼女はきっとそれが可能だと分かっていたんだ。だからあんなにも必死に伝えたがっていた。

 私の家の狭いダイニングに、立派なアンティークの椅子とテーブルが揃えられた。椅子はすべて同じ深い緋色のクッションがついたものだ。そうだ、一脚だけのダイニングチェアなんて無い。食卓に揃えられる椅子は、必ず複数のセットになっているものだ。家族の為に。

 その夜、見たものを私は生涯忘れることはないだろう。

 まず、いつものように少女が現れた。そしてその隣に大人の女性の姿が見えた。向かいの席には壮年の男性が、残りの席には少女よりも幼い顔の男の子の姿が見えた。テーブルの上にはまだ湯気の立つスープがあり、大きな皿にのった料理も置かれていた。それは家族の食卓の風景だった。少女は笑っていた。とても幸せそうに。父親も母親も弟も楽しそうに食事をしていた。少女は生き生きと母親に話しかけ、弟は食器の使い方がままならず、父親は困った顔をして微笑んだ。暖炉の火のように、心の芯から温まるような光景だった。

 晩餐は一時間ほど続いただろうか。私はその間じっと彼らを見守っていた。やがて食事の時間が終わりを告げると、彼らは椅子から立ち上がり、四人で寄り添って私に頭を下げた。私も礼を返した。

 彼らの姿が消えていく間際に少女が唇を動かした。

 “ありがとう”と言っているのが分かった。

 これがこの椅子にまつわる話だ。結局、私はこの椅子とテーブルを手放すことはできなかった。どうしてそんなことができる? 息子達はもう家を出て、家内は病で亡くなった。でも私は絶望なんてしない。いずれまた家族で食卓を囲むことができる。私はそう信じているのだから。

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