Hey! TAXI!【掌編小説】

 夜の日比谷通りを流していた私は、大きな荷物を持って手をあげる中年のサラリーマンの前で車を止めた。

「世田谷まで。急ぎでやってくれ」

 彼は乗り込むやいなやそう私に告げると、せわしなく腕時計を覗き込んでいる。

「そんなにお急ぎですか?」

 私は客のそんな素振りを気に掛けて尋ねた。師走の大通りは大渋滞だ。車であふれかえっている。世間は未曾有の好景気に湧いていて結構だが、急いでタクシーに乗り込んだ人間には歓迎できない状況だった。彼はうんざりした顔で言った。

「事故で電車が止まっているんだ。しかし最近のタクシーは横柄だな。なんでこんなに捕まらないのかな。この雪のちらつく中でたっぷり30分は歩かされたよ」

「いやぁ好景気で運転手もみんな儲かってますからね。そんなに働く気が起きないんでしょう。いまどき乗車拒否なんて珍しくありませんよ」

 私は不機嫌な乗客をそうなだめた。

「けしからんな。こっちは朝から晩まで身を粉にして働いてるというのに。今の日本経済をつくったのは我々のようなサラリーマン、企業戦士だよ。24時間闘ってね。運転手さんもそう思うだろう?」

「おっしゃるとおりです。でも今日はもうお仕事は終わりなんでしょう? どうしてそんなにお急ぎなんですか?」

 私がそう問いかけると、彼はうんざりした声で言った。

「決まっているじゃないか。クリスマスイブだよ、君。子供にプレゼントを買ってパーティーをしてあげる約束をしていたのに、仕事がどんどん長引いてしまって……。くそ、とにかく急いでくれないか。約束した時間まであと30分しかない」

「しかし、急げと言われてもこの状況じゃあ……」

 私はフロントガラスの向こうに伸びた赤いテールランプの列を指さした。サラリーマンはこれ見よがしに頭を抱えた。

「見ず知らずの君にこんなことを言うのも何だけどね。妻に三行半を突きつけられているんだよ。まったく家庭を顧みない父親はいらないとね。妻にも息子にも愛想をつかされている。今日は名誉挽回のチャンスだったんだ。それなのにこんなに遅くなってしまって。どうすればいいんだか……」

 私は彼が少し気の毒に思えてきた。今日はクリスマスだし、少しサービスをしてやってもいいかもしれない。そう思った私はいつもの前口上を切り出した。

「お客さん、タイムイズマネーという言葉を知っていますか?」

 脈絡のない突然の質問を受けて、サラリーマンの顔に不審の色が広がった。その顔をルームミラーで確認しながら私は続ける。

「私、ちょっとした抜け道を知っていましてね。お急ぎならそいつを使おうと思うんです。絶対に間に合う抜け道です」

「本当か!?」

「はい。本当です。絶対に時間に間に合います。ただし、その抜け道は高いですよ。そうですねぇ、今日は特別料金で1時間1万円として、今の時間からだと4万円ってとこですかね。どうします? 払いますか? もし万が一間に合わなかったらお代はお返ししますよ」

「本当に間に合うのか?」

「お客さんしつこいですね。間に合います。絶対に」

「間に合うならもちろん払う。いくらだって払う」

「分かりました。契約成立ですね。じゃあ、飛ばしますからお客さんは大船に乗った気持ちでゆっくりしていて下さい。これはタクシーですけど」

 私はハンドルを大きく切ってUターンをした。都合良く反対車線は空いていた。私はアクセルを踏み、皇居の周りを反時計回りにぐるぐると周回しはじめた。ルームミラーで後部座席を見ると、サラリーマンはぐったりして眠り込んでいる。みんなそうだ。慣れない人間はすぐに時間に酔ってしまう。

 四周ほど回って、私は客に声をかけた。

「お客さん、お客さん」

 彼はゆっくりと目を覚ました。

「お客さん、ちょっと時計を見てみてください」

 彼は時計の文字盤を確認し、眉をひそめた。

「はい、じゃあ窓の外を見てみてください」

 先ほどまで夜だったはずの街の景色が明るくなっているのを見て、彼は目をまるくした。雪もまだ降っていない。

「どうですか、時間を4時間ほど戻ってみたんですがね。今からならどんなにいゆっくり走っても間に合うでしょう。良かったですね」

「どういうことだ? どうやったんだ?」

「それは企業秘密ですね。到着したらお代はしっかりといただきますよ」

「き、き、君!」

 サラリーマンは頬を紅潮させて私に詰め寄ってきた。

「いやいや、そんなに感謝されなくても大丈夫ですよ」

「もう8万払うから、朝まで戻ってくれないか!? 実は今日、得意先との会合に遅刻してしまったんだ。そのせいでプレゼンに負けて、バタバタと仕事が長引いてしまって……。だから、頼むよ」

 彼は財布から何枚もの一万円札を出し、私に握らせてきた。子供の為と泣いて頼むから仏心でサービスしてやったのに、結局この男は家族よりも仕事が好きらしい。なんだかダマされた気分だ。私は黙って金を受け取り、再び皇居の周りを周回した。ただし、ちょっと頭にきたので時計回りに16回ほど回ってから会社の前に降ろしてやった。これでお望みの時刻にご到着ですよ。ただし次の日のね。世の中そんなに甘くはないですから。

 というのが、私の自己紹介代わりのエピソードです。特に何の取り柄もない、風采の上がらない男ですが、愛車のタクシーに乗って周回路をまわると時間を行き来できます。時計回りなら時間は進むし、逆なら戻ります。もどる時間の幅は、周回路の径にだいたい比例していて、経験上、皇居の周りなら一周1時間、神宮外苑なら一周5分というところです。

 身元がバレると少々やっかいなので、あまり詳しいことは言えませんが、もし貴方が急いでいるときに私のタクシーに乗ることができたら、偶然の女神に感謝したほうがいいでしょうな。

 そうですね、機会があれば、次は私のタクシーに二度乗った男の話をしましょうか。この男は奇妙な男で、最初にのった時には私に時間を進めてほしいと言ってきたのです。そして二度目には時間を戻してほしいと言ってきました——

 それでは、また。

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