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外交努力で争いは止められるんじゃ無いの?

日本がアメリカと共同で兵器を作ろうとしているらしい、私は書かれている物は一度疑ってみるが、残念ながらそれは本当のようだ。

ウクライナの戦争で、兵器で何人が亡くなったとか、被害が酷いとかを報道されていても、尚且つ兵器を作ろうとしているのだ。

軍事関連の企業がロビー活動をするのはよく知られている、軍需産業って売り先は国って事になるのだから、ロビー活動も盛んになるよね。

私自身は戦争は絵や写真や文の中でしか知らない、60過ぎた私も戦争を知らない世代なのです。

それでも私は親から戦争中の話は聞いている、我が親も子供の時期だったんだけど、食べるものが無かったとか、お兄さんがっ戦争に行って亡くなったとか。

私よりも若い世代は、自分から戦争を調べないと、戦争ってゲームの中の様に感じるのじゃ無いのかなと考えている。

日米韓のトップがキャンプデービッドに集まって、安全保障について話し合ったそうだ。

安全保障ってこの三か国で話し合うよりも、外交でウクライナの様な悲劇を起こさない努力をする事じゃ無いのかな。

政治家って自分が戦争の最前線に行く可能性は無いから、戦う事だけを考えるんだよね。

まあさ、軍事産業から、あんさんええ兵器おまっせ、これ持ってたら鬼に金棒や、他の国にも話付けて貰えまへんか、となったのかもしれない。

私は勝手にそう思って居るけど、現実は全然分からないんだよね。

オッペンハイマーが映画になった、これは研究者としての苦悩を描いて居ると言われている。

オッペンハイマーは最初は投下された原爆を祝った様だ、それは戦争を終わらせると共に、自分の成果が実を結んだからなのかも知れない。

最初はナチス・ドイツ相手に原爆を使用するのに開発が間に合わなかった事が心残りだと言っていたらしい。

だけど2つめの原爆投下でその考えが覆ったらしい、トルーマン大統領に「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」
そう言ったと伝記では書かれている様だ。

トルーマン大統領は激怒したらしい、血塗られているという言葉がそうさせたのだろうと考えられている。

私は戦争は知らないが、戦争はどちらの国も血塗られる物なのだ、兵器が有ってそれを使いたがる人々が居る限り。

ウクライナを兵器の実験場にして、その反省も無く、次の争いの為の武器を製造しようと考えるのは何故なんだろう?

商売としてそこが一番儲けが有る部分なのかも知れない。

昔元夫が「俺はみんなを食わす為には、兵器でも作る、食ってかなあかんからな。」と言っていたことが有る。

一般人のこの感覚が、国を戦争に駆り立てるのかもしれない、恐ろしい事です。

争いは外交で止まる、それを忘れてしまった政治家は、もう政治屋でさえ無いのかもしれない。


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